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ボディ・アーティスト
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著者: |
ドン デリーロ |
出版社: |
新潮社 |
評価: |
91 |
カテゴリ: |
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コメント: |
原書も読んだが、訳文はかなり頑張っていると思った。冒頭の散文詩のようなパッセージは無論のこと、原文の硬質な美しさを存分に引き出している。 |
関連本棚: |
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青月にじむ
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小説の自由
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著者: |
保坂 和志 |
出版社: |
新潮社 |
評価: |
90 |
カテゴリ: |
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コメント: |
2005年夏最大の収穫。現在小説を書くということに対して最も鋭敏かつ意識的な作家である保坂和志が、彼なりの流儀で小説とは何か、散文とは何か徹底的に考察する。
<br>
この「彼なりの流儀」というのが大事だ。保坂にとって、「論じるために小説を読む」という態度は邪道なものにほかならない。彼の卓抜な比喩によれば、評論家は羊の群れを統率する牧羊犬である。彼らにとってみれば、言葉を操る小説家もまた当然牧羊犬的な存在であるはずだ。ところが、小説家自身はむしろ羊の群れの中の一匹でいたいと思っているのだという。言葉と現実のはざまを決定的な指標もないままさまよい、一寸先の闇にこわごわと足を踏み出す行為こそ、保坂の言う「散文」なのである。<br>
この本の保坂の散文は、そのような態度表明に極めて忠実である。様々な小説が引用されるが、それらの読みは「論じられる」ために一定のベクトルに矯められてしまうことなく、様々なテーマが心を掴むのにまかせ、うろうろとさまよう。当初論じられるはずだったテーマはいつの間にか忘れ去られ、新たな関心事が作者の心を占める。しかしそのような彷徨の果てに、著者はいつしか「小説」あるいは「散文」と呼ばれるものの核に確かに行き着いたように僕には思われる。それは確かに明示することのできないものではあるけれども。 |
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がこび3/日本文学(ノンフィクションも)
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Elizabeth Costello (Coetzee, J. M.)
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著者: |
J. M. Coetzee |
出版社: |
Viking Adult |
評価: |
89 |
カテゴリ: |
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コメント: |
「クッツェーはあなどれない」ということをこの小説で初めて思い知らされた。基本的な、それゆえに困難な問いにほかならぬ「小説」の力によって立ち向かおうとするエリザベス=クッツェーの姿勢は、これから小説を書こうとする者にとって大いなる躓きの石であると同時に洞察の源泉となるに違いない。 |
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バカカイ―ゴンブローヴィチ短篇集
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著者: |
ヴィトルド ゴンブローヴィチ |
出版社: |
河出書房新社 |
評価: |
88 |
カテゴリ: |
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コメント: |
20世紀ポーランド文学を代表する作家、ゴンブローヴィチの短編集。この作家の人を食ったような作風に触れるには最適の一冊。 |
関連本棚: |
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チーズとうじ虫―16世紀の一粉挽屋の世界像
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著者: |
カルロ・ギンズブルグ |
出版社: |
みすず書房 |
評価: |
86 |
カテゴリ: |
歴史
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コメント: |
「個人が自由にものを考える」ということがまだ目くるめくような眩しい体験であった時代、一介の粉挽き屋メノッキオの脳裏に浮かんだとてつもない小宇宙。その古い世界と新しい世界にまたがる奇想天外な世界観を、丹念な資料批判に基づいて再構成する。「思考が芽吹く」ということそれ自体がいかに奇跡的なものであるか考えさせられる一冊。 |
関連本棚: |
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