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牛乳の作法 (ちくま文庫)
宮沢 章夫
筑摩書房
ISBN: 4480421556
紀伊國屋
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myta :
かつて私は放送の仕事をしていた。それをすべてやめることにし、外国に長期の旅行をしたのはちょうど十年前だ。旅行から得るものは数多くあったが、帰ってからのことはなにもあてがなかった。仕事をしないのだから当然、収入がなく、先の展望も見えず、さらに、ある個人的な事情も重なり、途方に暮れるばかりだった。もう三十歳を過ぎていた。あたりまえに考えるなら、仕事も生活も、安定してもいい頃で、二十代の前半に誰もが味わう「途方に暮れる日々」の、あのあっけらかんとしたものなどどこにもなかった。
茫然とするしかなかった。
どこでどうなってしまったのか自分でもよくわからない。わからないうちにそうなっていた。とりあえず、すべては自分で決めたことだとあきらめるしかない。
坂口安吾の『白痴』を読んだのはその頃のことだった。
たとえば、次のような一節が、そのときの私にとって、どれほど大きな意味を持っただろう。
「どうにでもなるがいい、ともかくこの現実を一つの試練と見ることが俺の生き方に必要なだけだ」
そして、作品中、「白痴」と表現される女の肉体が放つ小さな揺れは、それまで、「言葉」に対して持っていた私の様々なイメージや考えを捨てさせるに充分だった。
もちろん坂口安吾の作品は数多く読んでいたが、途方に暮れ、茫然とする日々の中で、『白痴』の全編に流れる言葉に私は出会った。身体に直接、震動を響かせる力があった。それがそうした読書のはじめての経験だったのかもしれない。もちろん、受け止める私の側に、言葉と向き合うだけの状況があったからにちがいなく、身体が受け止める言葉にこそ、ほんとうの力が存在するとはじめて実感したのだ。きれいごとや、うそくさい善意、あるいは知的を装うスタイルなど、どれにも震動を伝える力などありはしない。
あれから私は、自分の劇作においても、身体を通し、身体が発し、身体へと伝わってゆくはずの言葉のことばかり考えている。
どのようにそれは生まれるのだろう。
いまというこの時間に、くっきりとした、「身体」の出現する言葉を私は探している。坂口安吾から多くを学ぶのは当然だが、もちろんそれは、坂口安吾が表現した言葉とは異なる、また新しい姿をしているにちがいない。
私にとっての「茫然とした日々」は、おそらくあれからずっと続いているのだ。いまだってあのときと同じようなものだ。それが出発点だ。『白痴』は私にそれを教えてくれた。言葉から発する揺れが、身体を通じ、身体に伝えられることによって。(p.82-、「白痴」より)
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最終
更新
: 2007-06-10 02:35:37 +0900
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