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テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ
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著者: |
伊藤 剛 |
出版社: |
NTT出版 |
評価: |
2 |
カテゴリ: |
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コメント: |
<p>いや、この本はなかなか難しいよ。</p>
<p>この本は、これまでのマンガの表現論が戦後の手塚治虫の登場から、マンガが広く大人の鑑賞に耐えるものへと進化していくなかでの分かり易い道のりしか語っていないことに不満を提示している。そして、その進化は、手塚自身も自らへ取り込んでいったものだから、手塚だけを分析すればあたかもマンガが語れたような錯覚を覚える原因になり、手塚亡き今、まるでマンガの進化が止まってしまったかのように誤解されて、現状、つまり、「マンガがつまらなくなった」と言われる今日に、マンガは進化を止めているのかどうかを問う。</p>
<p>ま、よーするに、手塚治虫ばっか見て、その評価も相対化もまるでしてこなかった人には、今のマンガの立脚点が見えないでしょと書いてるわけ。で、その立脚点として、「キャラ」と「キャラクター」を二つの異なった概念に分離し、「キャラの自律化」がマンガのポストモダンだと主張してる。</p>
<p>「キャラ」ってのは、固有名詞がつけられる絵で描かれた実態のことと定義してる。固有名詞がつけられるってことは、つまり、右向いてても笑ってても泣いてても、それが同一の名前で呼べるってことですな。それに対して、「キャラクター」は、キャラを使った何らかの働きかけによって、人格や背景を感じさせるようになったものをいう。</p>
<p>そして、マンガの構成要素を「キャラ」と「コマ」と「言葉」と定義し、これらの相互作業で形作られるのが、物語であり、読者の感動であり、キャラクターだとしてるわけ。</p>
<p>で、近代のマンガでは主に重視されたのは、キャラクターだったわけですな。例えば、「貧乏で、なんの取り柄もないと思われていた少女は、実は千の仮面を持つ天性の役者であり・・・」という北島マヤというキャラクター(「ガラスの仮面」です。念のため)は、設定とそれまでのエピソードとストーリーによって形作られ、私たちはそのキャラクターのリアリティとドラマ性を評価の対象にしてきたワケです。</p>
<p>ところが、今は、キャラクターではなく、まず、キャラが大事。伊藤さんは「萌え」の広義の定義として「キャラの強度に反応すること」を提唱している。つまり、例えば、「ぶっちゃけお話はどーでも猫耳の尻尾のメガネってキャラならアリなんでしょ?」って事だな。このキャラ重視でキャラの自律性(強度の強いキャラがコンテキストから遊離して、それだけでコンテンツとなっていくこと)が強いことが評価される状態を、ポストモダンと呼んでる。もちろん、ここでポストモダンなんて用語を使うのは、東浩紀の「動物化するポストモダン」を下敷きにしているから。この本で提唱された「データベースモデル」はオタク文化批評の上では常識ですから、みんな学んでおくように。</p>
<p>と、ここまで語られておきながら、この本はここで留まってる。「キャラ」と「キャラクター」を分離して分析するやり方はすごく面白い。なのに、この概念を元に現状を鋭く分析し、マンガの最前線へぐいっと迫る・・・というのは、この次の(人の)仕事という感じ。マンガのモダンからポストモダンへの転換とその前後は語りながら、まだ現在は語り切れてない感じがちょっと歯がゆい。まあ、それは読者にゆだねられてもいいのかな。ここで提示されている概念を用いて、今のオタクカルチャーを鋭く分析するのは楽しかろう</p>
<p>で、そんなことするのは、オールドタイプなオタク。なんせ最前線は動物化してるからね(笑)</p>
<p>でも、ホントかな?現象として動物化してるけど、それは自分の人格や理性とか、そういうものと切り離した何かがあって、それゆえ動物化して見えるのかもしれないぞ。</p>
<a href="http://tambourine.cocolog-nifty.com/dengon/2006/03/post_c647.html">ここにはいないボクへの伝言</a> |
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神は沈黙せず〈上〉 (角川文庫)
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著者: |
山本 弘 |
出版社: |
角川書店 |
評価: |
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カテゴリ: |
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コメント: |
と学会の山本会長の長編SF。ネタの風呂敷のでかさは近年希にみるほどで、日本人の作家でこんなにデカい話をやってるのを見たことないので単純に感動しました。
ちびっとネタばれになりますが、話は主人公の兄がこの世界は実は神(というより、何か他の高度な知性体)が行っているコンピュータ・シミュレーションなのではないかとある証拠をもって突きとめたことを主軸に動きます。
このネタ自体はそれほど新しいものじゃないんですが、このことを知った悪役(?)が何を企むかとか、天変地異・超常現象などに関する解釈などが面白いし、何より超常現象やUFOやカルト教団に関する山本さんの並々ならぬ知識と造形が、これでもかっとばかりに詰め込まれて、それが物語と絶妙な絡み合いをしているところが素晴らしい。山本会長以外には書けない小説ですわ。量的にもお腹いっぱいにしてもらえマスヨ
文庫上巻の最後の場面が、読んでる途中にあっけにとられるほどのインパクトのある場面で、しかも後々意外な形で繋がっていきます。この驚きを共有してもらうだけでも価値がある。オススメです。 |
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