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確率的発想法~数学を日常に活かす

小島 寛之
NHK出版
ISBN: 4140019913  紀伊國屋, Amazon, WebCat
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評  価
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山形Fan : 『CUT』2004年5月
hiroyukikojima2 : 山形浩生さんの書評より(『CUT』2004 年 5 月)

 未来のことはわからない。でも、未来に何かをするためには、往々にして今の時点で何かをしとかなきゃいけない。高い買い物をしたければ、いまから貯金が必要だ。雨に濡れないためには、家を出るときに傘を持って出るほうがいい。不動産開発でもうけるなら、数年後の竣工時の市場を考えて動くしかない。だからぼくたちはあれこれと、可能性や見通しについて予想と見当をつけつつ、ローンを組んだり投資をしたり、買い物をしたり仕事をしたりする。その過程で何らかの形で、ぼくたちはいろんな選択肢の起こる確率について評価しているはずだ(そうでないと身動きとれないもの)。そして実際問題として、ある選択(つまりは評価)は他の選択よりも優れているはずだ。すると、ここで考えるべきことは二つ。ぼくたちのやっている確率の「評価」ってのはどんなものだろうか。そして、「正しい」評価ってのはなんだろうか。

 小島寛之『確率的発想法』は、その確率の考え方について、縦横に語りまくったあげくに通常の通俗解説書の枠を平然とぶち破り、単なる手法としての確率の実用解説を飛び越えて、確率を通した世界の見え方にまで話を進めた、無謀というか野心的というか、そんな本だ。いや、むしろ世界観の記述の仕方としての確率、とでも言おうかな。

 ざっとあらすじを。確率の一番単純な考え方は、サイコロを投げるのと同じで、何回もやってみて、そこから確率を引き出すことだ。でも、実際のぼくたちの選択は「何回もやってみる」という手が使えないことが多い。その都度入ってくるデータをもとに見通しを修正するやりかたのほうがいい。そしてそれでも捕らえきれない部分がある。一度も起こったことがなくて、どう考えればいいかわかんない不確実な出来事の扱いをどうするか? それをもとに、小島は社会的な選択や人命の価値の考え方にまで話を進める。

 そしてここから本書は、確率の解説書とは思えないすさまじい広がりを見せる。人々は最悪の事態を想定してそれを避けるように行動することが多いのが実験でわかっている。小島は、それをもとによい社会のあり方にまで議論を進めてしまう。ジョン・ロールズは、自分がどんな階級や才能に生まれるかはわからないとき、人は世界がどんなところであって欲しいと願うだろうかと考えた。自分が最悪のババを引いて、貧乏で頭も性格も身体も最悪な人物に生まれ落ちても、そんなにひどい目に遭わない社会、格差のあまりない平等な社会を望むんじゃないか。それが公正な社会だ、とかれは論じた。これは、最悪の事態を避けるという確率行動とも一貫性を持つ。つまり、確率論の考え方を導入することで、社会的な平等の理論的基礎づけができるんじゃないか?!

 すげえ。

 もちろん野心的な分、つっこみどころも多い。特にぼくは、後半に出てくる「ありえたかもしれない世界」とやらを重視すべきだという理屈にまるで納得がいかない。たとえば自動車の社会的コストの計算にあたって、実際の事故や公害の増加をもとに計算する一般的な方法に対し、車がない「あったかもしれない社会」で享受できた自由や安全という権利を再現する全コストを含める、という考え方を小島はほめる。でも権利への影響を費用のほうに含めるなら、便益のほうにだって入れなきゃ不公平だ。車があることで、ぼくの直接的な活動範囲も食べ物や家などの選択肢、つまり自由と権利ははるかに拡大しているんだから。それを無視してコストのほうだけふくらませるのは、ぼくは悪質なプロパガンダだと思う。そしてもっと大きな問題。自動車がない世界で享受できたはずの自由なんて、考えても意味あるの? だっていまのような形で自動車が普及していないなら、ぼくは生まれてこなかっただろう。その権利を享受する「ぼく」は存在していなかった。だったら、そんなものを考えるべきじゃないんじゃないか。

 そしてそこから小島が論じる「ありえたかもしれない世界」ってのは、ぼくが最初で述べた、人々のやってる評価と正しい評価とを混同する議論なんじゃないか? 過去のことは忘れて、将来にとっていちばんいい行動をしよう、というのが「正しい」考え方だ。でも実際に、人は過去のまちがった選択をくよくよ悩む。それは事実。だからといって、小島が言うようにそれを反映した理論がいいのか? いまの自分は過去のまちがいも含めた選択の結果なのに。小島のこの考え方は、まちがいのなかった理想社会なるものを勝手に想定して、それをもとに現在を断罪する変な、いやヘタすると危険な考えかたじゃないか? いまこの世界の一回性を軽視する思想じゃないか?

 が、そう思うのはぼくが既存の考え方に毒されすぎているせいかもしれない。小島の言うような発想があり得るのはわかるし、それを既存の体系とうまくブレンドできたら、もっと納得のいく社会理論もできるんじゃないか。本書はたかが通俗解説書の分際で、そこまで読者に考えさせてくれる。ついでに、前半の確率理論自体の説明もかなりわかりやすくておすすめだ。

 それにしても、最近のNHKブックスの活躍ぶりはめざましく、ただの解説書を超えた本を次々に出している。本書もその好例だ。通俗解説書の多くは、専門書を思いっきり水で薄めておこちゃま向けにしただけだ。でもそうじゃない場合がある。専門書ほど厳密な論証が要求されないので、まだ細部の詰まっていない思いつきを自由に論じられる。もちろん、それは難しい。基本のところをとばして大風呂敷だけ広げるのはリスキーだし、人によってはそれを勇み足と思うかもしれないけれど、ぼくは(どこまでが定説か明確にしてくれれば)話を広げてくれたほうがおもしろいし、往々にして本質に迫れるから好きだ。小島のこの本は、そういう専門書より深い通俗解説書のすばらしい例になっている。
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最終更新 : 2005-03-11 11:31:42 +0900
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