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増井
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「漢字廃止」で韓国に何が起きたか
呉 善花
PHP研究所
ISBN: 4569695183
紀伊國屋
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カテゴリ
韓国
朝鮮
評 価
コメント
Burgundy :
韓国の文化について述べているけれど、裏返せば、日本における母国語教育の重要性への貴重な警鐘とも言える。同じアジアに住む者として、隣国の状況を知ることもでき、一石二鳥の本。
増井 :
内容の一部。文中の「呉氏」は呉善花氏とは別人の、論文の著者
各種の評論·研究論文や新聞·雑誌の記事に、総じて書き言葉の世界に、語棄の恐ろしいまでの貧困化がもたらされたのである。
そのため、現在の韓国人が書く文章は一般的に、簡潔、単純、直接的という傾向が強く、言葉の奥行きがきわめて浅い。私にしてもハングルだけで韓国語を書くと、心に思う深さやニュアンスや広がりを、自由かつ十分に表現することができない。もっぱら漢字仮名交じりの日本語でしか、自分のいいたいことをいえなくなっている。
漢字ハングル交じり文(国漢混用文)が本格的に用いられたのは、福沢諭吉の発案で、日本で鋳造したハングル活字を用いた李朝の「官報」の役割をも果たしていた新聞『漢城周報』(明治十九年/一八八六)が最初である。
民族主義は一般に、文化的な伝統を維持発展させていくことに努めるものだが、韓国の民族主義は逆にこれを断ち切る作用を果たしてしまった。そのなかで、最も重要なものが、漢字を廃止してハングル専用とした極端な戦後韓国の民族主義的国語政策である。
試みに、先の『月刊朝鮮』の記事を、韓国の大学の国文科を出た二十九歳の韓国人に読んでもらったところ、まず「きばくざい」「かつりょくそ」という言葉を知らないという。そして、文章の意味はなんとなくわかるものの、はっきりしない、だからこういう雑誌を読むのがいやだ、といっていた。
当時の漢字廃止論者たち(ハングルこそ世界一優秀な言語だとする民族主義者たち)は、漢字を廃止するだけではなく、漢字語そのものをも廃止し、新たに造語していくことが必要だと考え、その作業を進めていたのである。一例をあげると、内容 - 中の肌、団体生活 --集まり暮らし、胃-ご飯の缶、などである。日本語で「身体障害者」のことを「手足の不自由な人」と言い換えようとするのと同じことだ。彼らは、こういう言い換えを盛んにやって「新発明」の単語をどんどんつくっていったが、彼ら以外の誰もまったく使おうとはしなかった。呉氏は、高度な抽象性をもった概念を抽象度の低い直接的な語棄ばかりの固有語で表記することじたいに無理があるという。
「一九七○年代以前に発行された人文·社会科学の大部分の専門書は、国漢混用で書かれている。高校までの十二年間、大学までの十六年間の教育を受けて社会に出る人々の大部分は、一般教養紙の記事や題目を読めない。こんなことは、世界のどこの国にあり得るだろうか。ましてや、博士論文を書く大学院生が、二十年前に出された指導教授の論文を、漢字のせいで理解できないとは」(同前)
彼らは勉強をしたくないのではなく、漢字時代の文献が読めないのである。呉氏によれば、彼らは漢字を知らず、抽象度の高い漢字語の概念語を知らないから、外国語の専門書などはほとんど理解できていないといい、論文を次の言葉でしめくくっている。
「十六年もの間勉強をしてきて、自分の国の言葉で書かれた新聞すらまともに読めない者など、人類の歴史上どこにも探すことができない。現在の地球のどこにもいない。我が民族文化は、漢字と漢字語を基盤につくられて発展してきた 。漢字を廃止することによって、数千年間続いてきた固有文化は、その伝統が断絶するだろう」
高度な精神性と抽象的な事物にかんする語彙、倫理、道徳、哲学、芸術、科学|いってみれば文明語彙のほとんどが、韓国の一般の人々にはもちろんのこと、かなりのインテリにも正確に理解されないまま、だいに遠く無縁なものとなっていかざるを得ないのである。
いまの韓国語では深遠な哲学や思想の議論はまず成り立たない。いかに朱子学の伝統を誇っても、あの気学の概念展開をハングルだけで理解することはできない。ハングルだけで世界的な水準をもった哲学論文を書くこともほとんど不可能である。日本語か西洋語でやるしかない。
そこまでぃわなくとも、私の知る韓国のご老人のなかには、「韓国語では難しいことは考えられない。考えようとすればどうしても日本語になる」とわれる方が何人もいる。いまや私も完壁にそうなっていて、小説ならば韓国語のほうが速く読めるが、専門書は日本語でのほうが数段速く読める。
逆にいうと、韓国人の多くが、日常的な肌触りをもった言葉ですべてを論じられると勝手に思っている。日本の朝鮮統治の問題ひとつとっても、容易に日常的な感性から抜け出た議論をすることができないのもそのためである。私はそれを反日思想教育や伝統的な小中華主義のせいだとばかり思ってきたが、けっしてそれだけではない。
戦後国粋主義者たちによって漢字が学校教育から疎外された結果、意味もわからないままに言葉を使い、八〇パーセント以上の語彙を失い、現在では世界最低の読書率を記録するに至ってしまった。
一朝のうちに国民全体が文盲のどん底に陥ったことを痛歎しないでいられない」(『ハングル+漢字文化』一九九九年八月刊) 八Oパーセント以上失われたという語彙の大部分が、日常的にはあまり使われない、しかし世界を論じたり高度な思考を展開したりするにはなくてはならない概念語、抽象語、専門語など「漢語高級語葉」の一群なのである。
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Burgundy
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ヴィヴァアチェ
最終
更新
: 2021-12-05 07:39:40 +0900
カテゴリ
評 価
コメント
内容の一部。文中の「呉氏」は呉善花氏とは別人の、論文の著者 <li> 各種の評論·研究論文や新聞·雑誌の記事に、総じて書き言葉の世界に、語棄の恐ろしいまでの貧困化がもたらされたのである。 <li> そのため、現在の韓国人が書く文章は一般的に、簡潔、単純、直接的という傾向が強く、言葉の奥行きがきわめて浅い。私にしてもハングルだけで韓国語を書くと、心に思う深さやニュアンスや広がりを、自由かつ十分に表現することができない。もっぱら漢字仮名交じりの日本語でしか、自分のいいたいことをいえなくなっている。 <li> <b>漢字ハングル交じり文(国漢混用文)が本格的に用いられたのは、福沢諭吉の発案で、日本で鋳造したハングル活字を用いた李朝の「官報」の役割をも果たしていた新聞『漢城周報』(明治十九年/一八八六)が最初である。</b> <li> 民族主義は一般に、文化的な伝統を維持発展させていくことに努めるものだが、韓国の民族主義は逆にこれを断ち切る作用を果たしてしまった。そのなかで、最も重要なものが、漢字を廃止してハングル専用とした極端な戦後韓国の民族主義的国語政策である。 <li> 試みに、先の『月刊朝鮮』の記事を、韓国の大学の国文科を出た二十九歳の韓国人に読んでもらったところ、まず「きばくざい」「かつりょくそ」という言葉を知らないという。そして、文章の意味はなんとなくわかるものの、はっきりしない、だからこういう雑誌を読むのがいやだ、といっていた。 <li> 当時の漢字廃止論者たち(ハングルこそ世界一優秀な言語だとする民族主義者たち)は、漢字を廃止するだけではなく、漢字語そのものをも廃止し、新たに造語していくことが必要だと考え、その作業を進めていたのである。一例をあげると、内容 - 中の肌、団体生活 --集まり暮らし、胃-ご飯の缶、などである。日本語で「身体障害者」のことを「手足の不自由な人」と言い換えようとするのと同じことだ。彼らは、こういう言い換えを盛んにやって「新発明」の単語をどんどんつくっていったが、彼ら以外の誰もまったく使おうとはしなかった。呉氏は、高度な抽象性をもった概念を抽象度の低い直接的な語棄ばかりの固有語で表記することじたいに無理があるという。 <li> 「一九七○年代以前に発行された人文·社会科学の大部分の専門書は、国漢混用で書かれている。高校までの十二年間、大学までの十六年間の教育を受けて社会に出る人々の大部分は、一般教養紙の記事や題目を読めない。こんなことは、世界のどこの国にあり得るだろうか。ましてや、博士論文を書く大学院生が、二十年前に出された指導教授の論文を、漢字のせいで理解できないとは」(同前) <li> 彼らは勉強をしたくないのではなく、漢字時代の文献が読めないのである。呉氏によれば、彼らは漢字を知らず、抽象度の高い漢字語の概念語を知らないから、外国語の専門書などはほとんど理解できていないといい、論文を次の言葉でしめくくっている。 <li> 「十六年もの間勉強をしてきて、自分の国の言葉で書かれた新聞すらまともに読めない者など、人類の歴史上どこにも探すことができない。現在の地球のどこにもいない。我が民族文化は、漢字と漢字語を基盤につくられて発展してきた 。漢字を廃止することによって、数千年間続いてきた固有文化は、その伝統が断絶するだろう」 <li> 高度な精神性と抽象的な事物にかんする語彙、倫理、道徳、哲学、芸術、科学|いってみれば文明語彙のほとんどが、韓国の一般の人々にはもちろんのこと、かなりのインテリにも正確に理解されないまま、だいに遠く無縁なものとなっていかざるを得ないのである。 <li> いまの韓国語では深遠な哲学や思想の議論はまず成り立たない。いかに朱子学の伝統を誇っても、あの気学の概念展開をハングルだけで理解することはできない。ハングルだけで世界的な水準をもった哲学論文を書くこともほとんど不可能である。日本語か西洋語でやるしかない。 <li> そこまでぃわなくとも、私の知る韓国のご老人のなかには、「韓国語では難しいことは考えられない。考えようとすればどうしても日本語になる」とわれる方が何人もいる。いまや私も完壁にそうなっていて、小説ならば韓国語のほうが速く読めるが、専門書は日本語でのほうが数段速く読める。 <li> 逆にいうと、韓国人の多くが、日常的な肌触りをもった言葉ですべてを論じられると勝手に思っている。日本の朝鮮統治の問題ひとつとっても、容易に日常的な感性から抜け出た議論をすることができないのもそのためである。私はそれを反日思想教育や伝統的な小中華主義のせいだとばかり思ってきたが、けっしてそれだけではない。 <li><b>戦後国粋主義者たちによって漢字が学校教育から疎外された結果、意味もわからないままに言葉を使い、八〇パーセント以上の語彙を失い、現在では世界最低の読書率を記録するに至ってしまった。</b>一朝のうちに国民全体が文盲のどん底に陥ったことを痛歎しないでいられない」(『ハングル+漢字文化』一九九九年八月刊) 八Oパーセント以上失われたという語彙の大部分が、日常的にはあまり使われない、しかし世界を論じたり高度な思考を展開したりするにはなくてはならない概念語、抽象語、専門語など「漢語高級語葉」の一群なのである。
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