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[
{
"title" : "物理学はいかに創られたか(上) (岩波新書)",
"isbn" : "4004000149",
"date" : "2006-09-27T00:22:50.000Z",
"publisher" : "岩波書店",
"authors" : "アインシュタイン, インフェルト",
"categories" : "",
"score" : "",
"comment" : ""
},
{
"title" : "装丁物語",
"isbn" : "4560046247",
"date" : "2004-08-30T00:37:23.000Z",
"publisher" : "白水社",
"authors" : "和田 誠",
"categories" : "",
"score" : "★★★☆☆",
"comment" : "\u003cp\u003e●98/02/27\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003eイラストレーター、装丁者として名高い著者がこれまで行ってきた装丁という仕事について語った本。基本は語りおろしなので、語ったという表現がふさわしいだろう。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e装丁とは、書籍のカバーデザインはもちろん、紙質や色などを含んだ、本としての体裁全部を考える作業。詳しくは本書を読んで欲しい。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003eデザイナーは、イラストレーターとは異なる技能を持った職業だ。イラストレーターはイラストという絵を描くのだが、デザイナーは、その絵やその他タイトルや著者名などの材料をいかに組み合わせて一つのものに仕上げるという作業を行う。絵がかけなくてもデザインはできるのだ。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003eイラストも描けてデザイン、装丁もできるという著者は、もちろん自分でイラストを描いてデザインすることも多いが、写真を使ったり、他の人の絵があってると思えば依頼したりもする。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e装丁の仕事をするときは、基本的に内容を全部読むことにしているらしい。当たり前のことだが、内容を把握して、その内容に合ったデザインをする。そのこだわりが感じられる。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e本書の最後の章を、書籍に付いたバーコードの話に割いている。雑誌にはバーコードがつけられている。コンビニなどへの流通での管理に便利なようにだ。そのバーコードが、文庫に進出して、ついに一般書籍にまで流通の合理化の名目でつけられるようになった。そのことに対する著者の憤り、特に自分の仕事に関することが、自分の関係ないところで決められて、その内容に納得がいかないのだ。自分が仕事をする場合は、バーコードは入れないように編集者、出版社と相談をしている。その結果、バーコードが付いてからは、以前の2割ぐらいの仕事量になってしまったと書いているのが一番印象に残った。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003eバーコードで便利になるのは、一番が流通の段階。つまり、書籍では、トーハン、日販という取り次ぎ会社だ。この2社だけが全国の書店への流通ルートを持っているので、出版社はこの2社が扱ってくれないと、本が売れなくなる。ほとんど独占状態だ。その取り次ぎが、バーコードつけないと扱わないといえば、出版社は従わざるをえない。全然健全な業界とはいえない。最近も、この2社が、消費税のアップに伴うコンピュータシステムの変更の経費を、全額出版社に負担させていたということが発覚し、公正取引委員会の指摘を受けている。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e自分がしている仕事や生活に関わる事を、自分抜きで決められたらいやだね。けど、そんなことがいろいろ平気で行われている。それがもっと気になってしまう。\u003c/p\u003e"
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{
"title" : "全線開通版・線路のない時刻表 (講談社文庫)",
"isbn" : "4062637219",
"date" : "2004-08-30T00:43:54.000Z",
"publisher" : "講談社",
"authors" : "宮脇 俊三",
"categories" : "",
"score" : "★★☆☆☆",
"comment" : "\u003cp\u003e●98/02/26\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e鉄道好きな人、いわゆる鉄っちゃん(^_^)の楽しみとして、写真を撮るとかもあるが、やっぱり実際に乗るというのがある。自分が乗ったことがない路線や車両には乗ってみたい。新しく路線が開通するのを待ちわびて、開通したらさっそく出かけていく。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e開通して乗りに行くのはいいのだけど、開通しないと乗れないのも当たり前の話。鉄道の建設には用地買収やトンネル工事などコストがかかり、時間もかかる。予算が削減され、工事の見通しが立たなくなったらいつ開通するかわからなくなる。それどころか、収益が見込めないと、既に開通している路線も含めて、廃線になるかも知れない。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e国鉄の赤字が膨らみ、昭和55年に路線計画の見直しがされたときに、予算がストップされ工事が中断してしまった路線を、著者が「乗りに」行ったのが本書の主体となっている。もちろん「乗った」といっても、まだ開通していないのだから、工事中のところを車や歩いたりしてたどって行ったものだ。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003eこの本で「乗った」路線は兵庫と鳥取の間の「智頭線」、新潟の「北越北線」、宮城から青森までの三陸海岸沿いの「三陸縦貫線」、岐阜の「樽見線」、高知から愛媛の「宿毛線」、それに完成する前の瀬戸大橋と青函トンネルを含めた「試乗記」だ。仮想の時刻表も作成するというこりようだ。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e雑誌記事としてかかれた55年から57年当時は、工事再開のめどもなかったのだが、単行本を経由して文庫本としてでた現在、上記の全路線が開通、第三セクターとして運営されている。この開通後の付記が付いているので、「全線開通版」となっているのだ。\u003c/p\u003e\n\u003cp\u003e各路線はそれぞれ「智頭急行線」「ほくほく線」「三陸鉄道」「樽見鉄道」「土佐くろしお鉄道」として運営されている。\u003c/p\u003e"
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{
"title" : "どこかにいってしまったものたち",
"isbn" : "4480872922",
"date" : "2004-08-30T01:57:24.000Z",
"publisher" : "筑摩書房",
"authors" : "クラフト・エヴィング商會",
"categories" : "",
"score" : "★★★☆☆",
"comment" : "\u003cp\u003e●どこかにいってしまったものたち 97/09/07\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003e明治から続くクラフトエヴィング商会という会社が取り扱ってきて、今では広告や取説だけで、商品そのものはのこっていない不思議な商品の数々を、集めた本である。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003e迷走した言葉を修復してくれる「迷走思考修復機」、なんでも結晶にできる「万物結晶器」、85のさまざまなぜんまいを巻いて動作させ水蜜糖が食べごろかどうかを調べる「水蜜糖調査猿」など、不思議な商品が収録されている。実物が残っていないので、どのような形態の物か判らないものも多数ある。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003e物や出来事が、過去に本当にあったのかということは、どのように確かめられるのか。記憶にあることは本物なのだろうか。たとえ証拠の取説が最近作られた物であっても、それが本当になかったとは言えない。いまはもう絶滅してしまったハナアルキも、いたのかもしれない。\u003c/p\u003e"
},
{
"title" : "ネコマンガ〈4〉チョキ (Cat comic)",
"isbn" : "4900779180",
"date" : "2004-08-30T01:10:15.000Z",
"publisher" : "イーハトーヴ出版",
"authors" : "デスノバ",
"categories" : "",
"score" : "★★★☆☆",
"comment" : "\u003cp\u003e●ネコマンガ4(チョキ) 97/08/10\u003c/p\u003e \n\n\u003cp\u003e好評ネコマンガシリーズの第4巻め。てきとうなネコの写真に、適当にせりふなんかをつけて、適当に本にした。ネコが好きな人は、適当に楽しめると思う。ネコを見るのもいやな人は、見れないでしょう(^_^)\u003c/p\u003e\u003c/p\u003e"
},
{
"title" : "メモの技術―パソコンで「知的生産」 (新潮選書)",
"isbn" : "4106005220",
"date" : "2004-08-30T01:26:17.000Z",
"publisher" : "新潮社",
"authors" : "中野 不二男",
"categories" : "",
"score" : "★★★☆☆",
"comment" : "\u003cp\u003eなんぶん昔の本なので、技術やソフト的には時代に合わないが、自分にとって使いやすいメモの道具の追求ということでは、いまだ満足できていない。\u003c/p\u003e \n\n\u003cp\u003e●メモの技術 97/09/05\u003c/p\u003e \n\n\u003cp\u003eパソコンでメモを整理する。コンピュータなんだから、そんなもん簡単におもえるが、そうはいかない。自分でデータベースを作ろうとした人なら判ると思うが、設計も大変なら、データの入力も大変、メンテナンスも大変なのだ。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003eノンフィクション作家として、取材や調査などメモを大量に取る著者が、それまでの紙メディアの京大式カードの限界から、パソコンでのメモデータベース構築の試行錯誤を書いている。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003eこの本で紹介されている著者のデータベースは、JUST SYSTEMのDOSベースの「五郎」というデータベースである。ソフトも古いし(五郎はWin95版が出るようだ)、別にフロッピーでテンプレートがついているわけでもなく、マクロのリストが出ているわけでもない。そのまま使える物ではない。それよりも、著者の考え方に価値がある。それは「かんたんなシステム、かんたんな操作、かんたんな管理」という言葉に表されているのだろう。機能がたくさんあることがソフトの真価ではないはず。MS社のソフトを始めとする最近のソフトは、なんか違う気がする。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003e使いやすいメモデータベースというのは、自分も欲しいしあれこれ考えている題材ではある。正直言って、著者のメモデータベースは、自分の考えている方向とは少し違うのだが、それは当たり前で、メモなんて物は非常にパーソナルなものなので、ちょっとでも引っかかるところがあれば、使い続ける気がしなくなってしまう。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003e同時に、何でもコンピュータに入れればいいのかというと、著者はそれには賛成していない。スケジュールは、基本的にはホワイトボード管理出そうだ。電子手帳を使っていても、それでは入力しない。パソコンに入力されている情報は、電子手帳に一方通行でしか流さない。電子手帳は、完全にビュアーとして使っている。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003eウィンドウを重ねて、いろいろ切り替えて使うよりも、3台のパソコンをならべて、つけっぱなしで使っているらしい。使いたいときにすぐ使えないと意味がないし、ウィンドウが上にかぶさるという形でも、そのことによってそれまでの作業が中断されるのを嫌っているのだ。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003eWindowsではできないが(今はできるが)、Macintoshでは1台の本体に、複数のモニタをつなぎ、それを一つのつながった大きな画面として使うことができる(Win98ではできるようになるとか)。Macintoshを使っている人でもこういう事ができるとは知らない人が結構いて、ときどき驚かれるが、これが結構使いやすいのだ。使い分けはもちろん自由だが、第2モニタにメールのウィンドウを置くとか、HTMLのソースとプレビューをそれぞれ置くとか、ウィンドウを重ねずに配置できるのがいい。それに加えて、そのMacintoshの右にWindowsのタワー、左にLibrettoが置いてあるので、非常に楽だ。贅沢ともいうが。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003eとにかく、機能を使いこなすのに努力が必要なソフトは、使いやすいとはいわない。\u003c/p\u003e"
},
{
"title" : "記憶は嘘をつく",
"isbn" : "4062065134",
"date" : "2004-08-30T00:47:13.000Z",
"publisher" : "講談社",
"authors" : "ジョン コートル",
"categories" : "",
"score" : "★★★☆☆",
"comment" : "\u003cp\u003e●98/02/23\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003e自分の記憶は、どこまで信じられますか?\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003e催眠術などで、思い出せない過去の出来事や、子供のころの記憶、はたまた生まれた時や前世の記憶が思い出せると言われている。その記憶は本物なのだろうか。本物の記憶とはなにか。われわれが今思い出せる過去の聞くとは、どんな意味をもっているのか。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003e記憶は、後からの情報や誘導で変化する。そして変化したということはなかなか認識できない。なぜなら、今はそう記憶していて、変わる前の記憶は、すでに記憶にないから。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003eまた、いつもすることの「スクリプト」が基準となり、それと違うことが記憶されるのではないかと書いている。いつもしていることは記憶に残らず、初めてしたことやいつもと違うこと、そして最後に行ったことが記憶されやすい。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003e本書は、著者の父との記憶やエピソードを織り交ぜ、判りやすく展開している。著者とぼけてきた父との話は、泣ける。\u003c/p\u003e"
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{
"title" : "日本イカイカ雑誌",
"isbn" : "4812401097",
"date" : "2004-12-19T07:15:57.000Z",
"publisher" : "竹書房",
"authors" : "",
"categories" : "",
"score" : "",
"comment" : ""
},
{
"title" : "名前がいっぱい",
"isbn" : "4103915021",
"date" : "2004-08-30T01:12:45.000Z",
"publisher" : "新潮社",
"authors" : "清水 義範",
"categories" : "",
"score" : "★★☆☆☆",
"comment" : "\u003cp\u003e●名前がいっぱい 96/04/20\u003c/p\u003e \n\n\u003cp\u003e 小説新潮に書かれた、名前にからんだ話を集めた本。小説のようなエッセイのような、この作者の軽い話のノリ。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003e 匿名、学名、子どもの命名、戒名、あだな、小説の登場人物の名前、一人の人物にいろいろついている通り名、名がつく言葉、名前が無かったら、名前を付けて欲しいという妖怪の話…。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003e 名前というのはその人そのものを表していて、本名は他人には知られない様にしないといけない、目上の人を名前で呼ぶのは畏れ多いので、階級やまたの名で表す。などなど。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003e そもそも、人間が言葉を操り思考するようになった段階で、何にでも言葉、つまり名前を付けなければ、その物、事を考えることすらできなくなっている。聖書の創世記で神が人に最初にさせたことも、全ての動物に名前を付けることだった。\u003c/p\u003e\n\n\u003cp\u003e この本の第3話が、子どもの命名の話で、そこに出てくるのが、女の子が「さき」で男の子が「ゆうき」で、1990年からのトップであるらしい。何をかくそう、私は「ゆうき」だ。\u003c/p\u003e"
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