しかし、明治二十九年、昭和八年、昭和三十五年と津波の被害度をたどってみると、そこにはあきらかな減少傾向がみられる。 死者数を比較してみても、 明治二十九年の大津波………二六、三六〇名 昭和八年の大津波………二、九九五名 昭和三十五年のチリ地震津波………一〇五名 と、激減している。 流失家屋にしても、 明治二十九年の大津波………九、八七九戸 昭和八年の大津波………四、八八五戸 昭和三十五年のチリ地震津波………一、四七四戸 と、死者の減少率ほどではないが被害は軽くなっている。その理由は、波高その他複雑な要素がからみ合って、断定することはむろんできない。しかし、住民の津波に対する認識が深まり、昭和八年の大津波以後の津波防止の施設がようやく海岸に備えはじめられてきたことも、その一因であることはたしかだろう。