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      [
{
  "title" : "ビエンナーレの現在―美術をめぐるコミュニティの可能性",
  "isbn" : "478727239X",
  "date" : "2010-12-28T05:36:32.000Z",
  "publisher" : "青弓社",
  "authors" : "暮沢 剛巳, 難波 祐子",
  "categories" : "現代美術",
  "score" : "★★★★",
  "comment" : "まず暮沢氏によって国際展という枠組みについて基本から説明がなされる。短い前書きながらポイントがおさえられており、それについてすでにある程度の知識をもつ専門家でなくても、いちから自分の頭で考えながら読み進めることができる。 \r\nなかでもヴェネチアで市民がどんどん減って、コミュニティーが存在しない、映画祭が開催されている地域なのに映画館が2軒しかない、という話は象徴的。国際展で、開催される地域との関係を無視しているものはないと思うけど、その行き着く先が、最古のビエンナーレであるヴェネチアの姿なのだとしたら、国際展について、また、それと地域コミュニティとの関係について、改めて考える必要性を強く感じた。 \r\n\r\n全体を通して、地域との関係性、また、地域の位置づけについてなどテーマは複数あるが、中でも日本で開催された国際展での言説について、または言説のなさについては複数の著者が触れている。職業的な美術批評について、毛利氏と福住氏の捉え方の違いが興味深い。職業的な美術批評の貧困という現状認識は両者に共通しているものの、さらにその現状に対し福住氏は非・職業的な美術批評の必要性・可能性を論じ、毛利氏はその貧困に対して職業的な美術批評を盛り立てるべきだという真逆と言える結論を導いている。これは両者がそれぞれ取り上げていた、横トリ05的な参加者の在り方(p103「そこで来場者に要請する身体技法も『鑑賞』から『参加』へと切り替えられた。」)と、北九州国際ビエンナーレ的なボランティアの在り方にぴったり重なる。 \r\n\r\nまた、福住氏は横トリ05についての批評があまりになかったことに触れているが、この福住氏の横トリ05評がまさしくこの横トリ05を包括的に真っ向からの批評文になっている。鋭い川俣正論たり得る内容。 "
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