読んだ本から気になった文章を引用しておくメモ。
こうして家は空っぽになり、ドアには鍵がかけられ、敷物類は巻き上げられたので、巨大な軍勢の前哨とも言うべき迷い風たちは、何の遠慮もなく侵入し、むき出しの板壁をこすったり、あちこちとかじったり煽いだりしたが、寝室にも客間にもそれに強く抵抗するものはもはやなく、ただ破れかけの壁紙が揺れ、床板がきしみ、装飾のないテーブルの脚や、すでにほこりを被って曇ったりひび割れたりしたシチュー鍋や陶器類が目につくばかり。人間たちが脱ぎ捨て、置いていったもの−−靴が一足に鳥打帽、洋服箪笥の中の色あせたスカートやコートなど−−それらはかろうじて人間の形をとどめていて、そのうつろさがかつて身につけられていた頃の生き生きとした動きを偲ばせ、ホックやボタンを留めようと、いくつもの手がいかに忙しく動いていたかを思い出させた。打ち捨てられた姿見も、以前は人の顔をはっきりと映し、一つの世界をそこにすくい取ってみせていたものだ−−その世界の中で、人が振り向き、手がひらめくように現われ、ドアが開き、子どもたちが騒がしくなだれ込んでは出て行ったのだ。それが今では、来る日も来る日も単調に差し込む光を映すばかりで、その光は水に映る花影のような澄みきった像を反対側の壁に落としていた。時折木々の影が風にあおられ、壁に向かってお辞儀をするように大きく揺れると、光を宿す鏡の陽だまりが、一瞬暗さを帯びる。あるいは鳥が窓辺を飛ぶ時など、寝室の床の上に、やわらかな染みのような影がゆっくりとひらめき過ぎるのが見られた。(p.246-)