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アウトブリード (河出文庫―文芸COLLECTION)

保坂 和志
河出書房新社
ISBN: 4309406939  紀伊國屋, Amazon, WebCat
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myta :

 文学は本来、言語化が可能なものと不可能なものに意識的で、言語化の領域を広げるために存在してきたジャンルのはずで、このかぎりにおいて哲学や科学と関係を持つことができた。
 言語化不可能な領域を触らずにそこを神聖化すれば一つ小説が生まれるし、その不可能な領域に人智を超えた象徴的な存在を据えればもう一つの小説が生まれる。前者は人間が運命や不可知なものに翻弄される話になり、後者は構えの大きい「神話的」などと呼ばれる話になるが、どちらも人間が愚かなまま放置される点で変わりない。だから言語化の領域を広げようという意識のない、“物語”という話法は滅びるべくして滅んでいく。
 もう一つ、広い意味での科学的言説に寄りかかって、たとえば「人間は所詮、一つ一つの臓器が機械的に機能しているものの総体でしかない」と言ってみたり、神秘体験のような、いまの科学の言語の外にあるがために説明する必要がないとされるものを、個々の人間の内部で起こったささいな錯覚の産物として片づけてしまうことも、同じように言語化可能な領域を広げない、どころかむしろ狭める。〔そして同時に、それら科学の言語の外にある事象にたやすく名前をつけていく神秘体験重視の人たちにとって、科学的言語信仰者による批判は何のインパクトもない。両者は乖離する一方だ。〕
 言語化の領域を広げていく作業は遅々たる進展しかしてこなかった。これからもそうだ。
 ここから先は限定した一例になるが、遅々たる言語化領域の拡張に比べて、テクノロジーによって人間の感覚の未知の領域を広げるような方法は次々に作り出される。「見る」「聞く」「触れる」……etc.は世界観を簡単に揺るがすことができる。神秘体験と同質の体験を演出することもどんどん可能になるだろう。それらは思えばありきたりのSF映画の光景で、事態はいまさら恥ずかしくてSFに描けないくらいあたり前になりつつあるということなのだろうが、人はそういう身体的刺激にとても弱い。感覚が開かれていくことは実際、快感だ。
 そのとき、〈至福〉とか〈おぞましい〉というような、感覚に基づいて経験の程度を形容する言葉は空疎になる(本当は昔からずっと空疎だった)。形容するだけの言葉は絶対に経験のリアリティを再現できない。言語はそこで起きたことを正確に記述しようとしなければならない。「読む」「書く」(と、それによる思考であるところの文学)が生きのびる可能性の一つは、言語がいまよりもっとずっと解析的に使われることのはずだが、人はそれを望んでいるだろうか。(p.31-)

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最終更新 : 2007-02-27 01:46:48 +0900
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