読んだ本から気になった文章を引用しておくメモ。
だが最終的にはマルセル・モースこそ、他の人類学者たちを束にしたよりもアナーキストたちに影響力を持つこととなった。それは彼が、代案的[オルタナティヴ]な道徳律に関心を払い、「国家と市場のない社会は、彼らがそのように生きることを積極的に望んだためにそうなった」という考え方を開示したからである。それは今日では「彼らがアナーキストだったからだ」ということを意味する。したがってアナーキスト的人類学がすでに実在するならば、それはモースからきていると言えるのだ。 モース以前に広く行き渡っていた前提は、貨幣や市場なき経済は「物々交換[バーター]」によって機能している、ということであった。それらは(有効な物品やサービスをできるだけ負担のない方途によって獲得し、可能な限り豊かになろうという)「市場的ふるまい(behavior)」をなしながらも、それをさらに発展させる洗練された方法を持っていなかった、と考えられていた。しかしモースが証明したのは、このような経済は実際には「贈与経済」だったということである。それらは計算に依拠していなかった。むしろそれを拒絶していた。それらは、われわれが経済の基本原理とみなしているほとんどを意識的に拒絶する倫理体系に根ざしていた。それらは、いまだにもっとも有効な方法で利潤を得ることを学んでいなかった、のではない。それらは−−少なくとも自分の敵でない誰かに対して−−最大の利益を引き出す目的で経済的取り引きをすることは、攻撃的な行いであるという前提を確立していたに違いない。 昨今の記憶において、はっきりアナーキストと自認する(希少な)人類学者は、やはりフランス人のピエール・クラストル(一九三四−一九七七)であろう。彼が政治的な次元で似た思考を展開していたことは意義深い。彼の考えによると、政治的人類学は、国家とはそれ以前に存在した組織形態がより洗練されたものであるという進化論的視点を抜け出していなかった。たとえば彼自身が調査したアマゾン社会の国家なき人びとは、アステカやインカのような段階に達していない、というのが暗黙の前提であった。そこで彼が投げかけた問いは、アマゾンの人びとが、国家権力の初期段階的形態にまったく気づいていないわけでなかったら? ということであった。彼らは、ある一定の男たちが、暴力の脅威に裏づけられて、他の者に対して有無を言わせず命令するようになったらどうか気づいていないわけではなく、そのためにこそ、そのようなことが絶対起こらないように心掛けていたのではないか? 彼らは、われわれの政治科学が基本的前提としていることが、道徳的に間違っていると考えていたのではないか? 上記二者の議論の平行関係は、実に刺激的である。贈与の経済においても、諸個人を事業化する方途は存在している。だがそこではすべてが、恒常的な富の不平等を生み出す土壌を提供しないように配置されている。そして自己拡張的な人びとは、誰がより多く譲渡するか競合することに帰結する。アマゾン(や北米先住民)社会においては、首長(chief)の制度が、政治的な次元で似た役割を担っていた。その位置に就くことは、あまりにも要請が厳しく、報酬が小さく、常時、護衛に堅く取り囲まれているために、権力好きな個人がそれを弄んでいい目を見るようにはできていなかった。アマゾンの人びとが、実際にしばしば支配者の首を刎ねていたというわけではない。だが、そのような隠喩(メタファー)が、まったく的外れだったわけでもないのである。(p.61-)