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どの文章をとってもながながと感想を書きたくなる本なのだが,なかでも室生犀星の「雀」という短い詩から筆を起こす「詩のなかの住まい,詩のそとの家」という一編が素晴らしい。この詩から,松山氏は今は亡き中上建次のことを思い出す。彼が生前,谷崎潤一郎の著明なエッセイ『陰翳礼讃』を評して「あれは負け惜しみだな」と言った,というのである。谷崎のこのエッセイは,日本の美の極地は陰翳の中にこそあるという主旨のモノだが,松山氏はかねてからこの論からアール・デコを連想していたので,中上の指摘に驚き感心した。<BR>
谷崎が陰翳に映えるものを良しとするのは,照明が進歩して明るくピカピカしたものが増えたからだ。そして松山氏は,アール・デコというデザインもまた,そのような感性の産物であるといい,これを日本の伝統的な美というのは退廃が過ぎるのではないか,と考える。また,彼の見るところ,中上建次の視点はまた違い,西欧文化が移入され家屋も明るくモダンになる中で闇や陰翳をことさら採り出して礼讃する態度に,時代の進歩について行けぬ老人谷崎の「負け惜しみ」を感じたのだろうという。<BR>
そして話は室生犀星に戻ってくる。ここには負け惜しみはない。退廃的な美もない。ここにこそ「日本の美」はあるのではないか,としめくくる。「雀」に続いて同じ詩集『日本美論』から,「隣史」,それに「傾く家」が引用されている。この「傾く家」には鳥肌が立つぞ。日本を紹介するガイドブックに載るようないわゆる「日本の美」を詩人は歌っていない。そういうものではなく,これを「日本の美」と捉えた犀星を私は日本人として誇らしく思う。<BR> |