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99%の誘拐 (講談社文庫)
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著者: |
岡嶋 二人 |
出版社: |
講談社 |
評価: |
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カテゴリ: |
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コメント: |
<p>始まりが割と古めの本格物みたいなはじまり方です。ここ最近、変化球のミステリーばかり読んでいたため、「そろそろ、古くさくてもいいから名探偵が『犯人はお前だ!』って叫ぶようなのも読んでみたい〜」とか思っていたため、自ずから期待感が高まったわけですが・・・違いましたね(笑)</p>
<p>プロットの組立は見事なんですが、犯人の視点で物語が語られ、早いウチにからくりが明らかにされちゃうので、そこからはこの犯罪がうまくいくのかという単なる冒険活劇になっちゃうんですよね。それはそれで面白かったんですが、やっぱこれも変化球かなと。また、最後の種明かしが、「いや、もうそんなことどうでもいい」ってことなんで、それもガッカリ。</p>
<p>あと、今から20年前の設定で、パソコンとネットワークを使ったトリックというのも、そりゃ当時の人はだまされるかも知れないけど、今の読者がどう思うかというのはなんともはや・・・。どちらかというの、往年のパソコン通信を知ってる人の方が楽しく読めるというようなシロモノかも。</p>
<p>というわけで、小説としては85点。ミステリーとしては50点というところですかな</p>
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ファイナルファンタジーXI~旅の恵み~ (ファミ通文庫)
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著者: |
はせがわ みやび |
出版社: |
エンターブレイン |
評価: |
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カテゴリ: |
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コメント: |
<p>このシリーズもかなり読みました。このシリーズのいいなあと思うところは、ゲームの設定を用いたスピンアウト作品ということだけではなく、MMORPGの現状をふまえた作品を作ってくれるところですね。</p>
<p>最近のバージョンアップに言及していたり(ヒロインの竜騎士が竜剣という最近追加されたアビリティを覚えたと言っていたり、PK対策でモンスターの挙動が変わったことに物語中で触れていたり)、テレポ屋というゲーム中で発生した商売や黒/赤は珍しいというユーザーの嗜好など、ゲームを実際にやっていないと書けない内容を、うまく物語の世界へ寄せて書いていて、作者がゲームの世界に愛情を持っていることがうれしくなります。</p>
<p>で、今回の舞台はソ・ジヤ。ぐぅ・・・行ったことありません(笑)</p>
<p>今回の引きからいくと、次の巻では主人公達はアルザビへ行くみたいですね。ああ、アトルガンの発売も、目の前ですなあ</p>
<p>で、そんななか、私のFF専用PCは不調です。がふ〜</p> |
関連本棚: |
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激走 福岡国際マラソン―42.195キロの謎 (小学館ミステリー21)
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著者: |
鳥飼 否宇 |
出版社: |
小学館 |
評価: |
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カテゴリ: |
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コメント: |
<p>タイトルからは想像出来ないけど、ミステリーです(笑)</p>
<p>それもかなり正統派の。最後のどんでん返しに向けての伏線はすべて正々堂々と仕掛けられていて、緊張感の維持した展開のなかで人間関係の絡み合いがあって、そして、最後に謎がすべて明かされる快感。これは、まさにミステリーの読了感。</p>
<p>それが、すべて42.195km走る間に行われます。すごい構成力です。</p>
<p>ここのところ、正統派ミステリーに飢えてたから、かなり楽しめたし、気持ちよかった。</p>
<p>それにしても、このタイトルはかなり損してる気がするなあ。</p>
<a href="http://tambourine.cocolog-nifty.com/dengon/2006/03/__42195___9b78.html">ここにはいないボクへの伝言</a> |
関連本棚: |
Tambourine
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テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ
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著者: |
伊藤 剛 |
出版社: |
NTT出版 |
評価: |
2 |
カテゴリ: |
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コメント: |
<p>いや、この本はなかなか難しいよ。</p>
<p>この本は、これまでのマンガの表現論が戦後の手塚治虫の登場から、マンガが広く大人の鑑賞に耐えるものへと進化していくなかでの分かり易い道のりしか語っていないことに不満を提示している。そして、その進化は、手塚自身も自らへ取り込んでいったものだから、手塚だけを分析すればあたかもマンガが語れたような錯覚を覚える原因になり、手塚亡き今、まるでマンガの進化が止まってしまったかのように誤解されて、現状、つまり、「マンガがつまらなくなった」と言われる今日に、マンガは進化を止めているのかどうかを問う。</p>
<p>ま、よーするに、手塚治虫ばっか見て、その評価も相対化もまるでしてこなかった人には、今のマンガの立脚点が見えないでしょと書いてるわけ。で、その立脚点として、「キャラ」と「キャラクター」を二つの異なった概念に分離し、「キャラの自律化」がマンガのポストモダンだと主張してる。</p>
<p>「キャラ」ってのは、固有名詞がつけられる絵で描かれた実態のことと定義してる。固有名詞がつけられるってことは、つまり、右向いてても笑ってても泣いてても、それが同一の名前で呼べるってことですな。それに対して、「キャラクター」は、キャラを使った何らかの働きかけによって、人格や背景を感じさせるようになったものをいう。</p>
<p>そして、マンガの構成要素を「キャラ」と「コマ」と「言葉」と定義し、これらの相互作業で形作られるのが、物語であり、読者の感動であり、キャラクターだとしてるわけ。</p>
<p>で、近代のマンガでは主に重視されたのは、キャラクターだったわけですな。例えば、「貧乏で、なんの取り柄もないと思われていた少女は、実は千の仮面を持つ天性の役者であり・・・」という北島マヤというキャラクター(「ガラスの仮面」です。念のため)は、設定とそれまでのエピソードとストーリーによって形作られ、私たちはそのキャラクターのリアリティとドラマ性を評価の対象にしてきたワケです。</p>
<p>ところが、今は、キャラクターではなく、まず、キャラが大事。伊藤さんは「萌え」の広義の定義として「キャラの強度に反応すること」を提唱している。つまり、例えば、「ぶっちゃけお話はどーでも猫耳の尻尾のメガネってキャラならアリなんでしょ?」って事だな。このキャラ重視でキャラの自律性(強度の強いキャラがコンテキストから遊離して、それだけでコンテンツとなっていくこと)が強いことが評価される状態を、ポストモダンと呼んでる。もちろん、ここでポストモダンなんて用語を使うのは、東浩紀の「動物化するポストモダン」を下敷きにしているから。この本で提唱された「データベースモデル」はオタク文化批評の上では常識ですから、みんな学んでおくように。</p>
<p>と、ここまで語られておきながら、この本はここで留まってる。「キャラ」と「キャラクター」を分離して分析するやり方はすごく面白い。なのに、この概念を元に現状を鋭く分析し、マンガの最前線へぐいっと迫る・・・というのは、この次の(人の)仕事という感じ。マンガのモダンからポストモダンへの転換とその前後は語りながら、まだ現在は語り切れてない感じがちょっと歯がゆい。まあ、それは読者にゆだねられてもいいのかな。ここで提示されている概念を用いて、今のオタクカルチャーを鋭く分析するのは楽しかろう</p>
<p>で、そんなことするのは、オールドタイプなオタク。なんせ最前線は動物化してるからね(笑)</p>
<p>でも、ホントかな?現象として動物化してるけど、それは自分の人格や理性とか、そういうものと切り離した何かがあって、それゆえ動物化して見えるのかもしれないぞ。</p>
<a href="http://tambourine.cocolog-nifty.com/dengon/2006/03/post_c647.html">ここにはいないボクへの伝言</a> |
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