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フリーターにとって「自由」とは何か
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著者: |
杉田 俊介 |
出版社: |
人文書院 |
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著者のブログにて2005年9・11衆院選投票日に発表された、すぐれた情況的断章 <a href="http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20050911">フリーターに関する20のテーゼ</a>も収録されている。
<p> >> <br>
【1】日本型のフリーター労働者は、ある種の「階層」である。<br>
【2】1980年頃から、国際的に若年不安定労働層が大量に生み出され、今も増加し続けている。<br>
【3】若年労働者は今後間違いなく、一部の「勝ち組」と大多数の「負け組」へと二極化してゆく。<br>
【4】フリーターの一定部分は、このままでは野宿生活者化するだろう。<br>
【5】しかし、フリーターは真の「最下層」ではない。<br>
【6】「フリーターは諸悪の根源だ」的な悪罵と非難は、今後も世論の中で醜悪にふくれあがるだろう。<br>
【7】フリーター問題の根もとには、女性労働者の問題がある。<br>
【8】考えるべきなのは、賃金格差や社会保障の格差だけでなく、仕事内容の格差——そこから生じる未来の衣食住の決定的格差——である。<br>
【9】若年層に関する限り、正職員かフリーターかという対立は、ニセの対立にすぎない。<br>
【10】統計的に、フリーターに陥りやすい層、フリーターからなかなか抜け出せない層がある。<br>
【11】若年層の多くは、今のところ両親に経済‐生活財的にパラサイトし続けている。このことを自己検証的にえぐり出さないフリーター論は、意味をなさない。<br>
【12】だが「若年労働層」も「既得権益層」も共に、自分たち以外の他者が強いられた生存の問題を真剣に考えてはいない。<br>
【13】現在の若年フリーター集団の多くは、他のマイノリティ集団(たとえば外国人労働者/障害者/野宿者/…)たちの生活と存在から遠く離れ、断絶し、孤立している。<br>
【14】それだけではない——一つのフリーター「階層」としての自覚を、当事者達が分有することも少なく、実質的に同じ底辺労働層に属するのに、互いに曖昧に切り離され、孤立した生存を続けている(属性は共有するが課題は共有できない)。<br>
【15】ネオリベラル(新自由主義的)な価値観のもとでは経済的な貧しさは、そのまま本人の道徳的な「悪」と見なされ、自業自得とされる。<br>
【16】表現や消費の自由は、むしろ、生産関係(所有の次元)の不自由や抑圧を覆い隠す。<br>
【17】高度成長型の「労働者」や「家族」は(なくなるのではなく)変質の過程にある。<br>
【18】具体的なたたかいに際しては、想像上の「敵」(エネミー)と現実的な《敵対者》(アドバーサリー)を、完全に区別し続けねばならない。<br>
【19】極端に言えば、フリーターの生には《何もない》——少なくとも、資本や国家が要求するようなものは。<br>
【20】今後のたたかいの主戦場は《存在権》——生存が単に生存であり続けることを肯定する権利——をめぐるものとなるだろう。<br>
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関連本棚: |
whalebone
GRA
harunoriyukamu
柴田邦臣
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The Little Book of Life and Death
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著者: |
Douglas Edison Harding |
出版社: |
Shollond Trust |
評価: |
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コメント: |
<a href="http://d.hatena.ne.jp/harunoriyukamu/20040108#p1">http://d.hatena.ne.jp/harunoriyukamu/20040108#p1</a>
<p> >> The Kingdom of Heaven is a real country with a precise location - exactly 180°(not 175°or 185°) to the direction you are now facing. In fact it's far more real than Earth. Though very like Earth in all respects, it's the very opposite. <br>You and I have been there before, a long while ago. << </p>
<p>これもまた<a href="http://www.hondana.org/harunoriyukamu/4198615322.html">生命に至る狭き門</a>を指していると考えられる。</p>
<p>ハーディングは視野空間の知覚基点に意識をむけて、読者を超越論的自由の覚知に導こうとしている。</p> |
関連本棚: |
harunoriyukamu
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今ここに、死と不死を見る―自分の不死の中心を発見する
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著者: |
ダグラス・E・ハーディング |
出版社: |
マホロバアート |
評価: |
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コメント: |
<a href="http://d.hatena.ne.jp/harunoriyukamu/20040108#p1">http://d.hatena.ne.jp/harunoriyukamu/20040108#p1</a>
<p> >> 天の王国は、現実の国であり、それはあなたが今向いている方向のちょうど(百七十五度でもなければ、百八十五度でもなく)百八十度反対の位置にある。事実、それは地上よりもずっと現実的である。あらゆる点でそれは地上に似ているが、それはまたその正反対でもある。 <br>あなたも私もずっと以前からそこにいたのである。 << </p>
<p>これもまた<a href="http://www.hondana.org/harunoriyukamu/4198615322.html">生命に至る狭き門</a>を指していると考えられる。</p>
<p>ハーディングは視野空間の知覚基点に意識をむけて、読者を超越論的自由の覚知に導こうとしている。</p> |
関連本棚: |
harunoriyukamu
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さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる
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著者: |
エックハルト・トール, Eckhart Tolle, あさり みちこ, 飯田 史彦 |
出版社: |
徳間書店 |
評価: |
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カテゴリ: |
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コメント: |
<p>原題 The Power of NOW: A Guide to Spiritual Enlightenment</p>
<p>著者エックハルト・トールによれば、さとりをひらく; being enlightened いちばん肝心なステップは、「思考を『ほんとうの自分』とみなすのをやめること」だという。そして、とりとめのない思考の束縛から、自分自身を解放するためにいくつかの方法が示されている。</p>
<p>ひとつには、思考の「声」に耳を傾けること。すなわち、思考を注意深く客観的にながめること。これをしていると「ひとり言をする『声』があって、さらに、それを聞き、観察している『ほんとうの自分』がいる」とだんだん理解できるようになり、この感覚は思考を超えた源泉から発せられているのだとトールは言う。</p>
<p>もうひとつは、意識を100パーセント「いま」に集中させて、思考活動を遮断するという方法。そして、これは瞑想の極意でもあるという。</p>
<p>さらに福音書の喩えをユニークな観点から解釈しているのにも注目。有名な「狭き門」に関連して第三章第九節・90頁から引用する。
<p> >>「人生にいたる狭き門」を見つけましょう。それは「いま」という名前です。あなたの人生を、「いま、この瞬間」に狭めるのです。あなたの「人生の状況」は問題だらけかもしれません(ほとんどの人の「人生の状況」がそうなのですから)。でも、「いま、この瞬間」になにか問題がありますか? 明日ではなく、十分後でもなく、たった「いま」です。なにか「いま」問題がありますか? << </p>
<p>トールに拠れば、ほとんどのひとは過去や未来に自己同一化してしまうあまり、悔悟や落胆あるいは不安や憔悴に捕らわれ、人生の真実を見失う。つまり「生命; 人生; life に至る狭き門」とは「いま、この瞬間」にあると。このへんの解釈がヒジョーに独特でおもしろい。あまりにも自明であるがゆえに、逆に気がつけない「狭き門」を目指せというわけだ。</p>
<p>総じて言えば、エックハルト・トールの凄いところは、至って平易なことばづかいで読者を(カント的な)超越論的自由の覚知へと導くところにある。思考と身体の解放、そして人間関係への洞察などたいへん示唆に富み、得るところは多い。</p> |
関連本棚: |
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なお。
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時間論 (ちくま学芸文庫)
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著者: |
中島 義道 |
出版社: |
筑摩書房 |
評価: |
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カテゴリ: |
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コメント: |
<a href="http://d.hatena.ne.jp/harunoriyukamu/20050705#p2">http://d.hatena.ne.jp/harunoriyukamu/20050705#p2</a><br>
<a href="http://d.hatena.ne.jp/harunoriyukamu/20040128#p1">http://d.hatena.ne.jp/harunoriyukamu/20040128#p1</a>
<p>ベルクソンの提示した〈純粋持続〉概念を時間の純粋形態ではなく、むしろ(時間以前のものである)自由の純粋形態であると喝破し、さらにカントが提示した超越論的自由の実在論へと接続する。</p>
<p>第五章〈時間の限界としての現在〉から一部引用。 </p>
<p> >> 私が夢中で試験問題を解いているとき、油絵を描くことに没頭している時、電車に乗り遅れまいと必死に走っている時、私は純粋持続のうちにあり、私は自由なのだ。いや、このときじつは「私」も登場してこない。「われを忘れている」のである。ただ、端的にある体験が開かれているだけであり、いわば私は世界とぴったり一致している。とはいえ、それは夢でも幻覚でもなく妄想でもない。明晰な体験である。〔中略〕</p>
<p>この時私は〈いま〉根源的に「自由である」のではない。純粋に自由に行為しつつある場合、私は時間のうちにいないのだ。私は「時間以前のもの=X」にかかわっている。いや、さらに正確に言えば、そこに生じている心の状態も「私以前の状態」なのである。そこには「時間以前のもの=私以前のもの」としてのXが登場しているだけなのである。<< </p>
<p>中島が説く「時間以前のもの=私以前のもの=X」は、<a href="http://www.hondana.org/harunoriyukamu/4198615322.html">エックハルト・トール</a>が説く「大いなる存在」あるいは「ほんとうの自分」に比すことができる量子的概念と言える。</p> |
関連本棚: |
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奇蹟を求めて―グルジェフの神秘宇宙論 (mind books)
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著者: |
P.D.ウスペンスキー |
出版社: |
平河出版社 |
評価: |
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コメント: |
人間の身体が産出するエネルギーの多くは無駄に使われている。特に不必要な筋肉の緊張に浪費されているとグルジエフは弟子らに指摘し、自己修練ではまずこの点に注意を向ける必要があると説く。以下の引用でグルジエフは人間の身体を工場に喩えて説明している。
<p>「工場の働き一般について語るときには、産出量を増やすことに何らかの意味があるという前に、不必要な浪費を止めることが必要であることをはっきりさせなければならない。もしこの不必要な浪費が続き、対策が何一つ講じられないまま産出量が増やされても、産出された新しいエネルギーはただこの浪費を増やすだけだ。いやそれどころか不健康な類の現象さえひきおこすかもしれない。だから、<b>いかなる肉体的な自己修練にも先立って習得すべきことは、筋肉の過緊張を観察し、それを感じ、必要に応じて筋肉を弛緩させること、つまり不必要な緊張をゆるめることだ</b>。」</p>
<p>グルジエフは弟子たちに、筋肉をしだいにゆるめるさまざまなエクササイズを与えたが、それは<b>常に顔の筋肉から始まった</b>と、ウスペンスキーは回顧している。</p>
<p>じぶんが推測するに、グルジエフは表情筋と呼吸筋の連動をよく理解していたのだろう。まず顔の筋肉をゆるめるところから体幹の深部筋群への波及効果を狙ったのだ。</p>
<p>さらに付け加えると、身体のコントロールを得る最初のプロセスとして、ウスペンスキーが重視した「脈拍の制御」は、心臓の筋肉そのものに直接働きかける方法ではなく、グルジエフの指摘する筋肉の過緊張をリリースする方法をつうじて多くの理解が得られたと記している。</p> |
関連本棚: |
harunoriyukamu
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