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職人学
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著者: |
小関 智弘 |
出版社: |
講談社 |
評価: |
★★★★★ |
カテゴリ: |
文化論
技術
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コメント: |
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関連本棚: |
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アメリカ新上流階級 ボボズ―ニューリッチたちの優雅な生き方
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著者: |
デイビッド ブルックス |
出版社: |
光文社 |
評価: |
☆ |
カテゴリ: |
アメリカ
文化
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コメント: |
一言,もの凄く不愉快な本。途中で何度も読むのをやめて放り投げようかと思ったが,読み終えてウェブとかに悪口を書きたい書いてやる口を極めて罵ってやるというその一心で我慢して読んだ。<BR>
「ボボズ」とは著者によれば「Bourgeois Bohemians」の略,簡単に言えば高学歴かつ高収入のアメリカの知的エリートたちのこと。著者のブルックスは自らをその一人として,前世紀(と書くと恐竜が出てきそうな気がするがオレの産まれた20世紀のことだ)前半,アメリカ社会の支配層であったブルジョアの価値観と60年代,それに異議を唱えたカウンター・カルチャー系のボヘミアン文化を融合して新たな時代の担い手となる人々であると位置づける。<BR>
オレのようにひねた読者でなければ(例えばこの本の翻訳者であるセビル楓さんのようなヒトであれば),気取らず親切で洗練された彼等の生き方に共感したり憧れたりできるだろう。酒よりコーヒー,美食より健康,ヤッピーの俗物性を嫌い,サバティカルを取ってボランティア活動に精を出す……。が,こう言っちゃなんだがそれらはマリー・アントワネットの洗練であり白木葉子の慈善ではないのか。<BR>
世界の5%にも満たない人口で世界の半分のエネルギーを消費するアメリカという国で,その政策(今この国でタケナカが真似しようとしている政策だが)ゆえに拡大した貧富の差の上澄みの部分にいるニューリッチどもが,週末に郊外のラテ・タウン(彼等が住む街をこう呼ぶのだ,バーよりコーヒーハウスが多いから)のカフェで熱帯雨林の大切さについて静かな口調で語り合って,ボクらは自然を大切にしている偉いでしょ,というのである。京都議定書の批准を拒否するジョージ・W・ブッシュを「ボボズ」代表として支持しながらだ,バカぢゃなければ偽善だろ? これ。<BR>
本書がアメリカで上梓されたのは2000年,つまりあの9.11以前なわけだが,この翻訳なった2002年の段階で訳者のセビル楓さん,解説を書いておられる明治大学の越智道雄センセともに,この本に書かれた彼等が9.11に続くアメリカのアフガン攻撃やユニラテラリズムへの世界からの批判についてどう考えているのかに言及していない。彼等の中でもグレードが高いのは外交政策に関わる仕事と書いてあるにも関わらずだ。てめぇらナルシストのためにアフガンやイラクで子供が死ぬんだよかったな,け,と燃え尽きた矢吹丈に代ってワタシが言わせていただきたい。 |
関連本棚: |
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『西遊記』の神話学―孫悟空の謎 (中公新書)
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著者: |
入谷 仙介 |
出版社: |
中央公論社 |
評価: |
★★★★☆ |
カテゴリ: |
文化人類学
中国
神話学
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コメント: |
「西遊記」,オレはこの猿を主人公にした荒唐無稽な冒険談が子供の時から大好きで,4,5歳のころ木馬座に「そんごくう」の着ぐるみ劇を観に行ったのを皮切りに,手塚治虫や諸星大二郎,そしてもちろん寺田克也の西遊記ネタ漫画 (「大猿王」の2はまだかぁ?) から,村上知行による翻訳,中野美代子や太田辰夫などの研究書までおよそ孫悟空ネタには目がないオトコなのである。とは言っても西遊記関連本の専門書店なんてモノはないし,新聞に広告がバンと出るようなジャンルでもないので,1998年に発行されたこの本を購入したのは昨年の終わり頃のことだったんである。<BR>
中身はと言えば,オレと同じようにガキのころから孫悟空が好きだったという中国文学者の入谷センセイが,「西遊記」全編のテーマを世界各地の古代神話に見られる「死と再生」説話の集大成として捕らえ,比較文化論的な考察を加えたモノ。古事記のスサノウノミコトに孫悟空を重ねて見るあたり,細部にはいささかコジツケめいて感じられる部分もないではないものの,たいへん面白く読めました。<BR>
特に玉帝,観音菩薩,釈迦如来などのいわゆる「神仏」のメンメン相互の関係を明白に図式化してくれたのと,それからオレが子供のころから「西遊記における論理的欠陥」と感じていた「孫悟空が水が苦手である」という設定に関してちゃんと考察してくれたのとはたいへんウレシクなってしまった。そうなのだ,玉帝と釈迦はどっちが偉いのか,治めている土地が違うのかチカラ関係がさっぱりわからないし,滝に飛び込んで水簾洞を発見したサルがなんで水が苦手なんやねん,八戒の見せ場を作ってやるために話を枉げてないか,と思っていたのだ。とにかく西遊記ファンのヒトはご一読を。 |
関連本棚: |
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闘蟋―中国のコオロギ文化 (あじあブックス)
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著者: |
瀬川 千秋 |
出版社: |
大修館書店 |
評価: |
★★★★ |
カテゴリ: |
道楽
文化
中国
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コメント: |
日本にもある闘鶏や闘犬さながらにオスのコオロギを闘わせる,そういう遊びが中国にあるというのはなんかで読んで知っていた。が,これほど深いもんとは思わなかった。深いだけでなく歴史も古い。唐代玄宗皇帝のころというから8世紀の初頭には既にコオロギを闘わせる遊びが流行し,都の金持ち達はこれに莫大な金を賭けていたらしい。うーん,唐ですか。<BR>
と,オレだけ勝手に感心していても始まらないのでまずは競技のあらましを紹介しよう。例えば10人,虫主(虫の飼い主のこと)が集まって闘蟋を開催するとすると,皆それぞれ10個あまりの素焼きの壷(養盆という)を持って現れる。1つの養盆に1匹のコオロギが入っており,内部の調度は鈴房(ベッド)に水皿に飯板,ほとんど後楽園ホールのボクサーの控え室という風情である。<BR>
試合に先立って厳密な体重測定が行われるのもボクシングと同じだ。闘蟋は基本的に体重の同じムシ同士で闘われる。自分の戦士の計量が終わった虫主たちは,彼等(思わず擬人化する)の戦意を高めるため,それぞれ自分が効果ありと信じる「最終調整」を行う。ある者はコオロギを熱気から護るために養盆ごと廊下に持ち出し,ある者は養盆にメスを入れて交尾をさせる,虫を手のひらに入れて振る者,養盆の蓋をわずかに持ち上げて息を吹き込む者いろいろだ。<BR>
やがて試合が始まる。闘盆と呼ばれる浅手の鉢(最近は観やすいようにアクリルの透明なものが主流なんだそうだ)の中央に仕切りが置かれ,それを挟んだ両側に戦士が1匹ずつ放される。茜草と呼ばれる細筆のような道具の先で彼等をつついて挑発し(これはつまり相手の触覚が体に触れたと思わせてコオロギの縄張り意識を刺激するわけだ),双方牙を剥いたところで仕切りを取り外す……。<BR>
とにかく全ての局面においてノウハウ,ウンチク限りのない趣味である。やれ養盆を焼く土はドコに限るとか,晩秋には水皿をそれまでの5mmほどの深さのものから3mmのものに変えないといけないだとか,茜草には生きているネズミのヒゲを引っこ抜いて使うべきだいやオヒシバ(イネ科の1年草)の茎の繊維にエノコログサの細い茎を芯として挿し入れそれを蒸したあとで日に干してハエの頭の血を少しつけたものこそ霊験あらたかだとか,どんなメスがヤマノウチカズトヨの妻となって内助の功を発揮するかだとかどんなメスが強力無双の戦士をスポイルしてしまうかだとか,これでもかこれでもかと中国人は際限なく探求記録しちゃう。とにかくひとたびこれを読めば,コオロギを飼ってみたくてウズウスすること必定である。お金があって戦争が終わって例の肺炎騒ぎがおさまれば今年の秋には上海の虫市に行きたい! |
関連本棚: |
サントリー学芸賞
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松山巌の仕事〈2〉手の孤独、手の力 (松山巖の仕事 2)
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著者: |
松山 巌 |
出版社: |
中央公論新社 |
評価: |
★★★★★ |
カテゴリ: |
文芸評論
文化論
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コメント: |
どの文章をとってもながながと感想を書きたくなる本なのだが,なかでも室生犀星の「雀」という短い詩から筆を起こす「詩のなかの住まい,詩のそとの家」という一編が素晴らしい。この詩から,松山氏は今は亡き中上建次のことを思い出す。彼が生前,谷崎潤一郎の著明なエッセイ『陰翳礼讃』を評して「あれは負け惜しみだな」と言った,というのである。谷崎のこのエッセイは,日本の美の極地は陰翳の中にこそあるという主旨のモノだが,松山氏はかねてからこの論からアール・デコを連想していたので,中上の指摘に驚き感心した。<BR>
谷崎が陰翳に映えるものを良しとするのは,照明が進歩して明るくピカピカしたものが増えたからだ。そして松山氏は,アール・デコというデザインもまた,そのような感性の産物であるといい,これを日本の伝統的な美というのは退廃が過ぎるのではないか,と考える。また,彼の見るところ,中上建次の視点はまた違い,西欧文化が移入され家屋も明るくモダンになる中で闇や陰翳をことさら採り出して礼讃する態度に,時代の進歩について行けぬ老人谷崎の「負け惜しみ」を感じたのだろうという。<BR>
そして話は室生犀星に戻ってくる。ここには負け惜しみはない。退廃的な美もない。ここにこそ「日本の美」はあるのではないか,としめくくる。「雀」に続いて同じ詩集『日本美論』から,「隣史」,それに「傾く家」が引用されている。この「傾く家」には鳥肌が立つぞ。日本を紹介するガイドブックに載るようないわゆる「日本の美」を詩人は歌っていない。そういうものではなく,これを「日本の美」と捉えた犀星を私は日本人として誇らしく思う。<BR> |
関連本棚: |
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ねじとねじ回し-この千年で最高の発明をめぐる物語
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著者: |
ヴィトルト・リプチンスキ |
出版社: |
早川書房 |
評価: |
★★★☆ |
カテゴリ: |
文化論
技術
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コメント: |
ペンシルバニア大学で建築学の教鞭をとる著者に,ニューヨーク・タイムズからミレニアムを記念するショート・エッセイの依頼が来る。テーマは「この千年で発明された最高の道具」は何か。彼は早速自らの道具箱を引っくり返して最高の道具を選ぼうとするが……。<BR>
前半は「この千年で最高の道具」探しを通して候補にあがった道具達の歴史が綴られる。これかあれかといろいろな道具について来歴を調べるのだが,ほとんどがこの千年どころか前の千年以前の発明であることに驚かされる(著者も,読者もだ)。で,結局それは「ねじ回し」であるということになり,後半,ねじ回しとそしてねじそのものの起源を遡る旅が始まる。<BR>
……と,いうわけでなかなか興味深い本なんだが,惜しむらくは読んでいるこっちの基礎知識が足りな過ぎてナニを言ってるのか分からないトコロも少なくない。例えば「☆という道具の仕組みは◎と●の組み合わせ」などと書かれていても,オレには●がどんなものなのかさっぱり見当がつかないのね。そんな日が来るかどうかは分からないが,もし歳とって日曜大工でも始めたらもう一度読もうかね。 |
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