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ねじとねじ回し-この千年で最高の発明をめぐる物語
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著者: |
ヴィトルト・リプチンスキ |
出版社: |
早川書房 |
評価: |
★★★☆ |
カテゴリ: |
文化論
技術
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コメント: |
ペンシルバニア大学で建築学の教鞭をとる著者に,ニューヨーク・タイムズからミレニアムを記念するショート・エッセイの依頼が来る。テーマは「この千年で発明された最高の道具」は何か。彼は早速自らの道具箱を引っくり返して最高の道具を選ぼうとするが……。<BR>
前半は「この千年で最高の道具」探しを通して候補にあがった道具達の歴史が綴られる。これかあれかといろいろな道具について来歴を調べるのだが,ほとんどがこの千年どころか前の千年以前の発明であることに驚かされる(著者も,読者もだ)。で,結局それは「ねじ回し」であるということになり,後半,ねじ回しとそしてねじそのものの起源を遡る旅が始まる。<BR>
……と,いうわけでなかなか興味深い本なんだが,惜しむらくは読んでいるこっちの基礎知識が足りな過ぎてナニを言ってるのか分からないトコロも少なくない。例えば「☆という道具の仕組みは◎と●の組み合わせ」などと書かれていても,オレには●がどんなものなのかさっぱり見当がつかないのね。そんな日が来るかどうかは分からないが,もし歳とって日曜大工でも始めたらもう一度読もうかね。 |
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食糧棚
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著者: |
ジム クレイス |
出版社: |
白水社 |
評価: |
★★★★★ |
カテゴリ: |
小説
イギリス
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コメント: |
ジム・クレイスの短編集,いや掌編集というべきか。訳者によるあとがきによれば,著者はイタロ・カルヴィーノの「見えない都市」,プリーモ・レーヴィの「周期律」および,ある民話(そのストーリーもあとがきには紹介されているが長くなるので割愛する)にインスピレーションを得て本書を執筆したそうで,話の数はチェス盤(その民話にはチェス盤が出て来るのだ)の升目と同じ64,全ての話が食べること,食べものを主題にしている。<BR>
それぞれの話は全く独立しており,ショート・ショート風にオチのあるものあり,ないものあり,詩のように音読して楽しめる(翻訳でも)ものあり,音読以外では楽しめそうもないものあり,と実にバラエティゆたか。だがどの話もどこかに一本,クレイス波というかクレイス節というか,幸福の背骨に沿ってただひとすじ流れる冷や汗のような悪意というか無気味さみたいなものが添加されており,読み進むにつれてそのなんとも嚥下し難い余韻だけが蓄積されていく構造になっている。<BR>
読んでいる最中,「一人の男が飛行機から飛び降りる」のバリー・ユアグローを思い出したが,ユアグローの短編が(本人がそう思っているかどうかは知らないよ),無意識に潜む不条理を不条理の形のまま文章に掬い取ろうとしたものだとすれば,クレイスのこれらの掌編は食べるという行為の根源にある野蛮が,我々の文化によって隠蔽され隠蔽され隠蔽されてなお垣間見えてしまうその瞬間を文字で切り取ろうとしたものだと言えるかもしれない。遠い昔井上陽水がインタビューに応えて言っていたように「ものを食べているところをヒトに見せるもんぢゃない」のだ。 |
関連本棚: |
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脳のなかの幽霊 (角川21世紀叢書)
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著者: |
V.S. ラマチャンドラン, サンドラ ブレイクスリー |
出版社: |
角川書店 |
評価: |
★★★★☆ |
カテゴリ: |
医学
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コメント: |
事故などで切り落としてしまい実際にはない手足が痛む,という話は私も聞いたことがあった。この本はその現象,「幻肢」を皮切りに,カプグラ・シンドローム (脳に損傷を受けた人が肉親を偽者と感じる現象) ,サヴァン (映画「レインマン」でダスティン・ホフマンが演じたように社会適応能力に障害を持つ人が音楽や数学などの分野で異常な才能を示すこと) ,想像妊娠,多重人格などの現象を神経学的に検証したもの。 <BR>
面白いのは,幻肢などの不可解な現象をただ机上で取り沙汰するのではなく,それに悩む患者の臨床医として実地にその「治療」に取り組んだレポートでもあることだ。幻の手を開くことができず爪が掌に食い込む痛みに耐えかねて病院を訪れた患者が,著者の実験によって「先生,驚きました,手を開くことができました!」と言うシーンの感動は,子供のころ顕微鏡を覗いたり,セミの羽化を観察したり,月についての本を読んだりして感じたものと同種である。 <BR>
ニュートン力学,ダーウィンの進化論,フロイトの心理学と,科学の革命は常に「人類は特別な存在ではない,人類はこの宇宙という自然の一部である」ことを証明して来た,と著者は言う。それらは人間を「神に選ばれたモノ」の座から引きずりおろした,と考える人が多いようだが違うのだ,と。著者のラマチャンドランはインド人であり,その主張・感覚にはヒンドゥーや仏教の禅宗に近いもんが感じられる。その辺,もしかしたら原書で読んでるアメリカ人より我々の方が理解し易いかも。 <BR> |
関連本棚: |
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知って合点 江戸ことば (文春新書)
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著者: |
大野 敏明 |
出版社: |
文藝春秋 |
評価: |
★★★★☆ |
カテゴリ: |
歴史
民俗
言語
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コメント: |
オレはもともとこのテの話が大好きでよく読むんだが,これもまた目からウロコがボロボロと落ちる面白本,最近の流行で言えば「へぇ」連発でありました。以下オレが「ヘぇ」を発したヤツを2つばかし……。<BR>
(1)「男はつらいよ」で寅さんがいう「タコ社長」の「タコ」は江戸弁では「ばか」の上を行く罵倒語なんであり,その由来は「イカ」だったのだ。……これぢゃなんだか分からないか,将軍の家来には旗本と御家人という2種類があった。もちろん旗本の方が上(身分は大名と同格)なんだが,その区別は将軍に謁見できるかどうかであり,それが許されない御家人達を「お目見得以下」と読んだのだそうだ。旗本の子供は御家人の子供を馬鹿にして「以下」と呼ぶ。「イカ」と罵られたら「タコ」と言い返すしかないぢゃないか。なので,「タコ」というのは「目上のニンゲンを罵って言う罵倒語」なのである。寅さんもあれでタコ社長の方が自分より偉いとは思っているのである(ホントか?)。<BR>
(2)「旦那」も元々は上の旗本,御家人の違いから産まれた言葉なのだ。江戸後期,市場経済の発達に伴って昇給のない武士の生活は相対的に苦しくなり,買い物に行く下女なども雇えなくなって「御用聞き」というシステムが発生した。その御用聞き達は旗本の家では主を「殿様」と呼び,御家人の家では差を付けて「旦那様」と呼んだのである。やがて明治維新が起こり,山の手が薩長出の官員(新政府の役人)で溢れた時,江戸の商人達は彼等を御家人と同格と看做して「旦那」という言葉を使い,田舎者の役人はこれを尊敬語だと思って喜んだ,という話なんですよ,旦那。知ってましたか? |
関連本棚: |
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メディア・リテラシーの方法
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著者: |
アート シルバーブラット |
出版社: |
リベルタ出版 |
評価: |
★★★★☆ |
カテゴリ: |
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コメント: |
監訳者あとがきを引用すれば,「メディアは構成されたものであるという前提のもとに,イデオロギー,自分史,非言語的表現,神話分析の視点からメディアを読み解こう」とし,そうした「メディア製作のさまざまな方法や技法を明らかに」することを目標に書かれた一種の「教科書」である(各章末にレジュメというか復習ドリルみたいのもついてるし)。<BR>
例えばこんな話だ。「となりのサインフェルド」のようなコメディは,主要な登場人物が直面するささいな問題,人間関係の苦労などを扱う。ここには,「成功とは純粋に個人的満足によって測られるものだ」というメッセージが込められている。彼等の社会的活動はそうした個人的欲求の充足と人間関係の構築(あるいは修復)に限定された形でオーディエンスに提示され,しかもその解決方法としてたいていはスポンサーの意に沿った「消費主義的行動」が採用される。映画を観に行くとか,ショッピングをするとか,そうした行為により彼等の「今週の問題」は解決あるいは先送りされるわけだ。<BR>
この本が出色なのは,上のようなメディア作品の構造分析に加えて,それを構成する諸要素,例えば登場人物の表情や動作,容姿や服装から,音声コミュニケーションの諸要素にわたる詳細な考察がなされていることだ。例えば会話における声の大きさは権威や信念の表れとなりうるし,逆に小ささは不安感,服従,曖昧さなどを表現する。<BR>
いやはや,全てのメディアがこの本に研究されていることがらを全て応用してその出力(だんだん作品とは呼びたくなくなってくる)を製作しているワケはない,と思うものの,そんなコトまでと空恐ろしくなるような部分もある。対象をとらえるカメラ・アングルに意味があり,上から撮れば対象を弱く無力に,下から撮れば強さと権威を感じさせるくらいは知っていたが,その水平な移動方向にも意味があり,カメラが文字を読む方向(欧米では…このページもそうだけど左から右)に動く映像は安定を,逆は不安を醸しだすなんて知ってましたか?<BR>
まったく,誰かに読んでもらいたい,というより,ある種の連中にはあんまり読んでいただきたくないような本である。そう思ったのはオレだけぢゃないらしく,地味な学術書にも関わらずオビの文句もこう書かれている。「どなたさまのご用心! 政治家までこんなことお勉強しているんだって……」。確かにそれはヤバいかも。 |
関連本棚: |
柴田邦臣
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蟻の革命―ウェルベル・コレクション〈3〉 (角川文庫)
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著者: |
ベルナール ウェルベル |
出版社: |
角川書店 |
評価: |
★★★★★ |
カテゴリ: |
小説
SF
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コメント: |
「蟻」トリロジーの最終巻である。1995年に最初の「蟻」が,96年に「蟻の時代」が刊行されてから待つこと実に7年,出版元も変わって文庫本での最終巻はちと悲しいが(「蟻」「蟻の時代」は上下2巻の単行本で持っているのだ),それでもこれを読めたことの幸せを素直にかみしめたい。いやぁ人生へのココロノコリが一個減った(いやまだ山ほどあるんだけどね)気分である。<BR>
シリーズ全部について解説すると長くなるのだが,このトリロジーはつまりニンゲンとアリという,共にこの地球上で社会生活を営む2種の生き物の邂逅と対立,そして共生の可能性についての物語である。フランスの郊外都市フォンテーヌブローを舞台に森に住む赤アリたち,そして彼らとのコミュニケーションに成功したニンゲン達が主人公だ。<BR>
この完結編では,森の中で謎の本「相対的かつ絶対的知の百科事典」を拾った拒食症の少女ジュリーと,ニンゲンと共に暮らしニンゲンの文化について深い知識を身につけた赤アリ103号とが合わせ鏡のように「蟻の革命」と「指(アリ達はニンゲンをこう呼ぶ)の革命」を推進する。ニンゲンたちは高校に立てこもって理想社会を作り上げようとし,アリたちは火の使い方を覚えカタツムリに乗って指との「コンタクト」にやってくる。いやぁ読み終わってしまったのが惜しい。まだ読んでないヒトが心底うらやましいぞ。<BR> |
関連本棚: |
勇魚
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『坊っちゃん』の時代―凛冽たり近代なお生彩あり明治人 (アクションコミックス)
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著者: |
関川 夏央 |
出版社: |
双葉社 |
評価: |
★★★★★ |
カテゴリ: |
日本人論
マンガ
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コメント: |
関川夏央・谷口ジローのコンビが実に12年をかけて「近代日本の青春,明治」を描いた漫画シリーズ。 <BR>
第一部「坊ちゃんの時代」で漱石,第二部「秋の舞姫」で鴎外,第三部「かの蒼空に」で啄木,第四部「明治流星雨」で秋水,そして最後の第五部「不機嫌亭漱石」で再び漱石を中心に描かれているが,それら「主人公」はあくまで各々の時代,事件を語る狂言回しとしての役割を担っておるに過ぎず,あたかもバルザックの「人間喜劇」のように総体をもって日本にかつてあった「明治」という時代を描いている。 <BR>
いやいや,これは傑作です。読むべし。
<li> <a href="/%E5%A2%97%E4%BA%95/4575712299">文庫判</a>もありますね。(<a href="/%E5%A2%97%E4%BA%95">増井</a>)
<li>ほう,文庫が出てるの? 揃えることをお勧めしますね。ヘタな明治本よりよっぽどタメになると思います。 |
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マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男
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著者: |
マイケル・ルイス |
出版社: |
ランダムハウス講談社 |
評価: |
★★★★☆ |
カテゴリ: |
野球
ドキュメント
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コメント: |
オビのアオリをそのまま書き写せば「貧乏球団アスレチックスは,なぜ勝ち続けるのか? 小説ではぜったい書けない男たちの熱いドラマ。」 <BR>
アスレチックスというのはサンフランシスコの対岸,オークランドに本拠地を置くメジャーリーグのチームだ。日本人選手もおらず,「A's」という略称を見てニッポンの阿呆な国会議員が「アメリカはすごいな,エイズにかかったヒトのプロ野球チームがあるのか」と言った(知らないヒトは信じないかもしれないが実話です。次から真面目に選挙に行く気になりましたか?)時以来日本の新聞などでメインの話題になったことはない(と思う)。 <BR>
が,このアスレチックス,ここ数年の成績は抜群。本書に寄れば「ニューヨーク・ヤンキーズの1/3以下の年俸総額の選手達を使って,ニューヨーク・ヤンキーズ並みの成績を上げ続けている」。まさに奇蹟のチームなのである。これは,その「奇蹟」を可能にした元二流メジャーリーガーのジェネラル・マネージャー,ビリー・ビーンの哲学と思想(というほど形而上的なモンでもないが)を追ったドキュメンタリー。「野球」を徹底的に科学し,文字通りの意味での「勝利の方程式」を作り上げた男の物語である。 <BR>
オレの読後感を正直に吐露すると「横浜ベイスターズの関係者はみんなこれを読め,他のチームのヤツはお願いだから読まないでくれ」ということになる。あ,あと一言だけ,1998年我らがベイスターズの優勝監督・権堂さんが「送りバントというのはわざわざ敵にアウトを献上するという世にも馬鹿馬鹿しい作戦だ」と言っていたのはデータ的にも圧倒的に正しかったのだ。まだ遅くない,ダイちゃん,権堂さんの采配を思い出そう!<BR> |
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エノケンと“東京喜劇”の黄金時代
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著者: |
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出版社: |
論創社 |
評価: |
★★★★ |
カテゴリ: |
レビュー
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コメント: |
オレは1961年生まれなので当然その全盛時代を知る由もないわけだが,あの筒井康隆をして「子供の頃ボクはエノケンになりたかった,『エノケンのように』ではなくて,エノケンそのものになりかったねぇ」と言わしめた『喜劇王・エノケン』,その片鱗くらいは知っておかねばと出演映画が放送されれば録画・鑑賞に務めている。昨年11月に江戸・東京博物館が行った特別企画「エノケン生誕100年記念映画祭」には「エノケンの千万長者」を観に行ったし……。<BR>
が,この本を読むとやっぱり「最高のエノケン」は映画ぢゃなくて舞台なのだと書いてある。もちろん執筆者の人たちはエノケン・ファンが嵩じて「東京喜劇研究会」なんてのを作っているわけで思い入れたっぷりなのは織り込み済みなんだが,しかしまぁ実に面白そうなんだよね。<BR>
『世界珍探検』(原作はカミ)では,南方で人食い人種に捕まった探検家のエノケン,縛り上げられて火あぶりにされるというところで肝心の酋長が出てこない。しばらく芝居を繋いだあと,エノケン自ら縄をほどき,舞台の袖に入るや「酋長はどうした! てめえなんかクビだこの野郎!」と叫び,しょんぼりした酋長を引っ張り出して来て客席にニヤリ……これは見たいよなぁ。<BR> |
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のらねこ兵☆演芸館
stonechild
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呪いの研究-拡張する意識と霊性
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著者: |
中村 雅彦 |
出版社: |
トランスビュー |
評価: |
★★★☆ |
カテゴリ: |
心理学
民俗
宗教
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コメント: |
愛媛大学で社会心理学を教えている著者は,同時にちゃんと資格を取った神主(神職というのが正確らしいが)でもあり,主に「呪術的実践と神道的世界観の心理学的研究」というのを行っている……そうな。<BR>
映画「死国」にも出て来たが,四国には伝統的に市井のシャーマン「拝み屋」が多数在住し,占い,まじない,加持祈祷などを行っている。彼らの役割,社会的位置などを文化人類学の観点から構造主義的に分析した研究は多い。が,それらの研究の多くは,基本的に彼らの行為の真偽や効果についての言及は避けてきた。本書はそれらの研究とは逆に,呪術や託宣,霊視や念力などの効果を現実のものとして認め,それが機能する心理的世界の模式を提起しようと試みたものである。<BR>
多少牽強付会的な印象もあるが,ユング呼ぶところの「ヌミノーシティ(霊性体験)」を,多くの場合その励起要因となる宗教性から切り離し,逆に全ての宗教がこの「霊性」の顕現に他ならないとする論理展開は興味深く,世界観としても面白い。また,この現象(というかチカラというか)を悪用しての呪詛やオウムのような人心収攬の危険性についてもキチンと言及しており,所謂「トンデモ本」ではない……いやトンデモ本を楽しもうと思って読んでも十分楽しいけどね(笑)。<BR> |
関連本棚: |
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ホワイト・ジャズ (文春文庫)
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著者: |
ジェイムズ エルロイ |
出版社: |
文藝春秋 |
評価: |
★★★ |
カテゴリ: |
アメリカ
小説
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コメント: |
600ページをこえる大冊。この本はエルロイの「暗黒のL.A.4部作」の最終章,1997年に公開されてアカデミ−賞の脚色賞,およびキム・ベイジンガーが助演女優賞を獲得した映画「L.A.コンフィデンシャル」(カーティス・ハンソン監督) に続く日々を描いた物語である。…つまり「L.A.コンフィデンシャル」は「暗黒のL.A.4部作」の第3作目だけを取り出して映画にしたもんなのね。<BR>
ヘビィな小説だ,馳星周絶賛,「暗黒小説」〜オレの定義では「登場人物の誰も好きになれない『どいつもこいつも小説』」の傑作である。前述の映画を観た人ならば,映画でガイ・ピアースが演じるエド・エクスリーと原作の印象の違いに驚くかもしれない。映画とはかなり展開も違っている (一応ネタバラシは避けておく) |
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ハッカーと蟻
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著者: |
ルーディ ラッカー |
出版社: |
早川書房 |
評価: |
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カテゴリ: |
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コメント: |
ハッカー作家,ルーディ・ラッカーの1994年の作品 (翻訳が出たのは96年)。一昨年までアップルのWWDC (World Wide Developer's Conference) の開催場所だったサンノゼのダウンタウンが舞台だったりして (主人公が盗聴を恐れて「サンノゼのフェアモント・ホテルの前にあるうるさい噴水のそば」でわざわざ会話をしたりする) 楽しい。<BR>
いや実際,同じ作者のこれまでの作品に比べて,時代,技術水準その他が現実に近いものに設定されているせいで,特にこの業界に身を置くワタシとしては実に身近な (身につまされる部分も含めて,ね) リアリティのある作品である。以下おおまかなあらスジ。<BR>
シリコン・バレーの最先端企業で家庭用ロボットのソフトウエアを開発している主人公ジャージーは,ある日サイバースペースで一匹の「蟻」を目撃する。会社のスター・プログラマー,ロジャー・クーリッジが開発していた人口生命体だ……。「蟻」はやがて増殖し,まるでウィルスのようにサイバースペースを侵食しはじめる。「蟻」をネットワークに放った犯人として告発されたジャージーは会社も解雇され孤立無援に……。<BR>
とまぁ,スジとしてはなんつか「ハイテク企業陰謀モノ」みたいな感じなのだが,そっちの謎解きは例によって本質ではない。物語のキモは遺伝的アルゴリズム (ああ懐かしい,「バラ」を作った時勉強したぜ) によって淘汰されたロボットの「知性」が「繁殖」する可能性を探ることにあり,またそのような「知性の爆発」にはほぼ無限といっていいサイバースペースを舞台に変異と淘汰が実践されなければならない可能性を示唆している部分にあるのだ。…わかりにくいですか? 読むとわかります(笑) 。<BR>
このヒトが好きなのは,実際自分でもソフトウエアを書くエンジニアでもあるところ (だけでなく「数学者」でもあり,なにより「ガイキチ」だったりするんだが) 。以下のような部分,プログラマーでなければ書けない感覚だと思うんだよね。<BR>
<BLOCKQUOTE>
新しい言語や新しいマシンを相手にする時はいつもそうだが,だれかが,「ほらよ,ジャージー,こいつが部品番号のリストで,こいつがその部品を使って組み立てられる自動車の写真だ」といい,最初のうちは,「くそくらえ,いままで使ってた古い部品で車を組み立てるやりかたならちゃんとわかっているんだ」と思うのだが,やがて好奇心が首をもたげて,新しい部品を使いはじめる。新しい部品は妙な形をしているが−なじみのない論理にもとづいてつくられているから,最初のうちは納得できない−やがてなんとか車輪を一個作ることに成功し,それがちゃんと転がると,もっと興味が湧いてきて,その新しい論理を使ってどんなクールなことができるのか理解しはじめ,そのころにはもう頭の切り替えがすんでいる。こういうことに意欲を燃やし,それを自分で何度も遂行できるという事実が,ぼくをハッカーたらしめているのだといってもいい。</BLOCKQUOTE>
おっと為念,この本では「ハッカー」は「出来のいいプログラマー」,「ハッキング」は「クールなプログラミング作業」という意味で使われている。つまりシステム破りを意味する「クラック」とははっきり分けているので注意してほしい (同じことを「クリプ」と言ったりしてるけどね) 。一応,書いておかないと……。今のニッポンぢゃ主人公と同じ誤解を受けるかも,だからね。<BR> |
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理系白書
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著者: |
毎日新聞科学環境部 |
出版社: |
講談社 |
評価: |
★★ |
カテゴリ: |
ドキュメント
社会
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コメント: |
毎日新聞科学環境部編。オビにはこうある。"文系の王国"日本で全く顧みられることのなかった「理系」の問題に初めて深く切り込んだ渾身のレポート……。それほどのもんか?<BR>
ウチは毎日新聞を購読しているので,一年を越えたこの連載記事もずっと読んでいた。その印象は,最初の頃こそ広く「理系」の問題に目を向けていたが,いつの間にか「理系」イコール「研究者」のことになってしまい,世にある「理系」のヒトビト全般の問題意識からかけ離れて行った,というものだった。……今回こうして一冊にまとめられたものを読んでその印象がかなり正確であったことに残念ながら失望した。<BR>
だいたい「研究者」の待遇に限れば理系よりも文系の方が過酷だと思う。理系の「設備」はそれでもカタチがある分予算が付き易い(モノが高価だから十分でないのは同じだが)。オレの出た大学でエジプト史を研究してたセンセ(例の吉村作治さんほどタレント性はなかった)はよく,国から出る研究費では現地に行くどころか文献蒐集もままならないとぼやいていた。首尾よく博士になれても専門を活かせる就職なんか……それこそ理系の研究者がうらやましくなるくらいに「ない」だろう。<BR>
つまり文理の別と研究者・非研究者の別がごっちゃになっているのだ。なんというか,オレも技術者のハシクレとして働くニンゲンなんだが,世界を変える研究をしているわけではないし今後もその見込みは無い。だが世間的には「理系」の仕事をしているヒトであり,理系的ネガティブイメージで語られる。そういう市井の「理系のヒト」が読んでると,この本に出て来るヒト達はとても縁遠い存在だという気がするのである。<BR>
……こう言えば分かるだろうか。これを作った毎日新聞の記者諸君にお聞きしたい。もし「文系白書」という本が出版されて,開くと大臣にもなるような花形経済学者の話とかマーケティング理論の専門家の話や,源氏物語の文献研究をしている研究者の予算不足についての愚痴や道祖神の分布を調べている女性民族学者が教授にセクハラに遭った話(こんなのこそ文理共通だろ)ばかりが書いてあり,オビには「文系のすべてを浮き彫りにする」とか書かれている。……どんな気がする |
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魚籃観音記 (新潮文庫)
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著者: |
筒井 康隆 |
出版社: |
新潮社 |
評価: |
★★★★★ |
カテゴリ: |
日本
小説
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コメント: |
1997年から2000年にかけて,主に新潮社の雑誌に掲載された作品を集めた短編集 (なぜか一つだけ文芸春秋の「オール読物」掲載作品がはいっている,なんで?) 。<BR>
なんと言っても圧巻は表題作,孫悟空と観音菩薩が姦るという「ポルノ西遊記」である。帯にも「発禁覚悟」とあるがこれはスゴイ。まさに天才筒井康隆の面目躍如,作品中,男性器を表す単語だけで,陰茎,ちんぽこ,ペニス,逸物,陽根,男根,錫杖,珍棒,陽物,魔羅,へのこ,棍棒,男性自身,肉茎,肉棒,一物,大砲,珍宝,巨根,松茸,<b style="color:black;background-color:#ffff66">デチ棒</b>,コック,こね棒……はぁはぁ,こんだけあり,それらがまた適材適所 (笑) ,こーふんするぞ,これは。<BR>
だいたい筒井作品のセックス・シーンというと,大概のヒトが「エディプスの恋人」のあのシーンを想起するらしいのだが,あれはあんまりエッチぢゃない。個人的意見としていままでのベストは「残像に口紅を」の第二部,世界から「あ」と「ぱ」と「せ」と「ぬ」と「ふ」と「ゆ」と「ぷ」と「べ」と「ほ」と「め」と「ご」と「ぎ」と「ち」と「む」と「ぴ」と「ね」と「ひ」と「ぼ」と「け」と「へ」と「ぽ」と「ろ」と「び」と「ぐ」と「ぺ」と「え」と「ぜ」と「う゛」と「す」が消え失せたあとで行われるそれであったが,この「魚籃観音記」はあれにまさるとも劣らない。むしろあれの「饒舌バージョン」とでも言うべきか。<BR>
他の短編では「粗忽電器屋」とでも言うべき「作中の死」が面白い。鼠や犬猫 (が主人公の小説もこの本にはあるのだが) ではなくニンゲンの行いを小説という形で描く以上,意識してあるいは意識せずに身辺の誰彼をモデルとして書くことはどんな作家でもするだろう。が,その行為自体に着目し,思索し,こうした短編にまで昇華するのはやっぱり筒井さんならではという気がする。かなり印象は違うがこれは「虚人たち」の系譜に連なる作品だと思う。<BR>
なお,当然というかオレはこの本を単行本で持っているのだが,そのISBNをAmazonで検索したところ不本意ながら文庫本しか出なかった。文庫を出したらもう単行本は印刷もしないのだろうか。なんだかなぁ。 |
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人はなぜエセ科学に騙されるのか〈上〉 (新潮文庫)
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著者: |
カール セーガン |
出版社: |
新潮社 |
評価: |
★★★★ |
カテゴリ: |
教育
科学
社会
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コメント: |
なかなか刺激に満ちた本であとで引用したくなるようなフレーズ,データが随所に出て来る。例えば5回続けて表を出したコインを投げて次に裏が出る確率は実は表が出る確率と同じである,ところがヒトはそうは思いたがらない。セーガン博士は言う,「人は乱数にすら意味を求める」。<BR>
このセーガン博士,Appleのなにかのプロダクトのコードネームに自分の名前を使われたこと(もちろんこれは「敬意を表してのこと」だった) に抗議して,アップルの技術者がそのコードネームを「石頭の天文学者」と変えたことがあるほど,厳格で融通の効かない面もあるヒトなんだが (この本の中でもテレビのSFモノを批判してるところなんかはそういう感じがする) ,いやしかしこの本で彼が提起している問題はどこの国でも,特に「先進国」と呼ばれる国において,もっと真剣に考えられるべきだと思う。<BR>
「アメリカの学童は十分な勉強をしていない」という,世界規模の学力テストの結果を見ての彼の意見の感想として,高校1年生が以下のようなことを書いて来るクニはちょっとやばかろう? 「よその国みたいに賢くないのはかえっていいかもしれないと思います。どうしてかというと私達は製品を輸入すればよくて,そういう部品をつくることにばかりお金をかけなくて済むからです」 「よその国の方が優秀だからってそれがなんだって言うんだ。どうせみんなアメリカに来たがってるんぢゃないか」 |
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