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悩み多きペニスの生涯と仕事
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著者: |
ボー コールサート |
出版社: |
草思社 |
評価: |
★★★★ |
カテゴリ: |
性
医学
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コメント: |
ずいぶん昔の話だが,梶原一騎・川崎のぼるの「巨人の星」コンビに「男の条件」というマイナーな漫画があって,その中で紙芝居描きの主人公が,縄張り荒らしの落し前をつけるため,ヤクザの親分 (というのがそういえば可愛らしい女子高校生なのだ,「セーラー服と機関銃」を先取りしてましたな) の弟を「紙芝居で感動させなければならない」ハメになるんである。<BR>
この弟というのが,である。なんつうか女子高生にして女親分を立派につとめる姉の弟のくせに,皮肉屋のガリ勉 (死語?) 野郎で,ハナから紙芝居など馬鹿にしている。まっとうな方法では「感動」させることは不可能だ。そこで主人公とその師匠 (だいたいこの主人公は漫画家になりたいわけでもなかったくせにこの師匠の男気に惚れて仕事をやめ,紙芝居屋をやってるんだが) は一計を案じ,この弟のコンプレックスをこれでもかこれでもかえぐり出すような内容にする。<BR>
これを観て弟は激高し,子分どもに主人公達を痛めつけるよう指示するが,組の重鎮である「人斬り政」(だったと思う) に「坊ちゃん,コンプレックスを突かれて怒るのも感動には違いありやせん」とか言われて,その場に泣き伏す…という,いかにも梶原的理屈っぽさ漂う展開 (「人斬り政」ってインテリぢゃん) になる,と。<BR>
やれやれ,長い前置きであったけれども,ボー・コールサート著「悩み多きペニスの生涯と仕事」を読み終え,私もこの「男の条件」のヤクザの坊ちゃん的「感動」をしたんである。文章によって感情を揺さぶられ,それどころかありもせぬ痛みまで感じてしまった。なんつうか,男なら誰でもそうだと思うのだが,例えば下の「陰茎折症」の描写なんかどんなに即物的に書かれていても平静な気持ちでは読めない,と思うのだ。</p>
<Blockquote>
ペニスの海綿体は堅い壁を持っている。これが激しい興奮のときには強度の緊張状態に置かれる。誤った動作をすると,海綿体が棒のように曲ったり折れたりすることだってあるのだ。こうなると,海綿体組織の壁が切れ,血液が高圧で組織の中に流れ込む。この出血が,猛々しく鋭敏な愛の絵筆 (「愛の絵筆」というのはこの本の原題でもある) をほんの短時間で変色させる。腫れあがり,無力で,痛いだけの器官に変えてしまうんだ。すぐに病院に受け入れてもらう必要があるね。
</Blockquote></p>
実はこの本を私は「題名買い」(題名だけ見て面白そうだ,と購入すること) したのだが, 松浦理英子の「親指Pの修業時代」みたいな小説かと思ったのだ。そしたら泌尿器科の専門医による,なんつうかペニスとセックスに関する医療相談みたいな本だった。で,上のような記述がバンバン出て来るのである。いやぁ,なんか股間が (性的興奮とは別の意味で) ムズムズして来ませんか。それはあなたも「感動」してるんですよ(笑)。 |
関連本棚: |
coup
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夢の科学―そのとき脳は何をしているのか? (ブルーバックス)
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著者: |
アラン・ホブソン |
出版社: |
講談社 |
評価: |
★★★★☆ |
カテゴリ: |
明晰夢
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コメント: |
…今はムカシ,懐かしい「MacLIFE」に連載を持っていた頃,サヴァン症候群の人たちのことを書いた「なぜかれらは天才的能力を示すのか」( ダロルド・A・トレッファート著)の中に「ハリモグラにはレム睡眠がない」とあるのを読み,コラムで「もしかしたら夢というのはフロイトが言うようなモンではなく,単に脳味噌が記憶をガベージ・コレクトしているのを『意識』がかいま見ちゃってるだけのもんぢゃないのか」と論じたことがある。書いてる方が「こりゃ大発見」とコーフンしたわりには読者からの反応もなく,そのうちすっかり忘れ果てていたのだが,この本を読むとオレの考えはあれで結構いいセンを行っていたんですよ,奥さん。<BR>
筆者によればフロイトの時代に比べて画期的に進歩した脳の基礎研究やさまざまな測定器具の実現により,ヒトが夢をみている時の脳の状態をリアルタイムで見られるようになった結果,夢の研究は長足の進歩を遂げ,いまや「空を飛ぶ夢をみるのは性的欲求不満があるからだ」式のフロイト的夢判断は科学的にほぼ否定されているのだそうな。では脳のどんな活動がヒトに夢をみさせるのか,そもそも夢をみるとはどんな意味があるのか。意図的に明晰夢(自分がいま夢をみていると自覚しながらみる夢)を見る方法とは……などに興味があれば是非ご一読を。今夜から眠るのが楽しみになるかも。 |
関連本棚: |
すがる
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ダーウィンの使者〈上〉 (ヴィレッジブックス)
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著者: |
グレッグ ベア |
出版社: |
ソニーマガジンズ |
評価: |
★★★★ |
カテゴリ: |
アメリカ
小説
SF
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コメント: |
なんつうのかね,昔はハードSFって言ったら物理学の世界だったのだが,昨今のハードSFは生物学なんだな。オレもそれなりに例えばスティーブン・ジェイ・グールドの本とかを読んだり,ディスカバリー・チャンネルを観たりしてその方面に関して世間の平均以上の知識を持っているツモリだったのだが,「ヒト・ゲノムに数十万年前から潜んでいたレトロウィルスが現代社会のストレスを引き金に活性化して非連続的進化を引き起こすその方法」の解説なんてのは読んでてもさっぱり判らないよ(笑)。<BR>
しかしそれなりに面白く,特に後半,主人公の女性生物学者が自らミュータントを妊娠することを決心してからのダッシュな展開はマイケル・クライトンばりに読ませる。…ま,こういう言い方をするということはつまり前半は結構タイクツなトコもあったということなんだがね。事実を記録したドキュメンタリではなく小説なんだから,フォーカスを絞ることも必要だろう。はっきり言えば前半には無用な,物語的にいなくても大差ないくせに名前を与えられてる登場人物が多い気がする。それからラストで出て来るミュータントの幼児の容貌の描写がイマイチ像を結ばないのもマイナス要因である。顔に「まだら」があっても,文字で「可愛い」って書いてあればああ可愛いのだな,と読んでるヤツは納得するだろうが,それぢゃきっと映画化の話は来ないよ。ペイントの剥げかけたグレート・ムタは可愛くない。 |
関連本棚: |
sen研究本
veri
t_trace
すぐなくぅず
ogijun
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吸血コウモリは恩を忘れない―動物の協力行動から人が学べること
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著者: |
リー ドガトキン |
出版社: |
草思社 |
評価: |
★★★★ |
カテゴリ: |
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コメント: |
くだけた邦題(まぁ原題も「Cheating Monkeys and Citizen Bees」でカタイわけぢゃないが)ながらなかなかタメになる進化生物学の解説書である。動物の協力行動というのは,例えば邦題になっている吸血コウモリの,飢えた仲間に自分の吸って来た血を吐き出して与える行動のこと。<BR>
もちろん動物たちが「良心」にしたがってそんなことをしているわけはないので,つまり現実にそうした行動が観察できるということは,そうした行動をとることが今までの自然淘汰の過程でその動物に有利に働いた結果であるといえる。では彼らはどんなメカニズムにしたがってそうした,個体にとっては「損」にみえるような行動を取るのだろうか……てな話を豊富な実例を挙げながら展開するわけだ。<BR>
なかでも興味深かったのは群内淘汰と群間淘汰の関係。小川に住むグッピーは一定規模の群れを作って行動する。捕食者らしい生物の気配を感じると,物陰に逃れる他の仲間から離れて敵の方に向かい敵を「偵察」し,得た情報を仲間に「報告」する数匹の個体がいるという。もちろんこの行為は偵察する本人(本魚?)にとって大変危険なものであり,群れの他のメンバーに比べて彼の生き延びられる確率は少ない(群内淘汰)。ではそんな行動を取る個体が一匹もいない群れの方が生き延びる確率が高いか? ちょっと考えればわかるがそんなことはない。そういう群れはあっという間に捕食者に喰い尽くされてしまうのである(群間淘汰)。ね,面白いでしょ?<BR>
例えばここに「ビジネス」というものがある。金儲け至上主義のヒトに言わせればこの世は弱肉強食である,と。つまりこれは協力行動を拒否,あるいはズルして群内淘汰における有利を得ればいいという考え方である。しかし国内にそういう考え方が蔓延し貧富の差が激しくなると国力が衰える。なので,群内協力がちゃんと出来ている(ように見えるだけだったが)共産主義陣営健在なりし頃はアメリカン・キャピタリズムもそう無茶はしなかった。が,冷戦終結グローバル化で今や地球全体が「群内」になったので,ヒトを協力行動に追い立てる圧力が雲散しようとしてるわけだ。……別に敵対する他の群がなくても淘汰される可能性はあるんだが,分かんないヒトが多いんだよな。 |
関連本棚: |
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アコーディオンの罪 (ACCORDION CRIMES)
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著者: |
E・アニー・プルー |
出版社: |
集英社 |
評価: |
★★★★ |
カテゴリ: |
アメリカ
小説
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コメント: |
時間はかかったけどこの本を読むのは愉しかった。なんてのかな,「ストーリーを追うヨロコビ」ではなくて,もっと純粋な「文章を読むヨロコビ」を感じさせてくれる本,映画よりも音楽に近いタイプの本である。たまにはこういう本を読むのもいい。仕事で切れ切れではなくてまとまった休暇とかを取っていっぺんに読めると最高なんだがな。<BR>
ストーリーを紹介するのは難しい。簡単に言えば,約100年前,イタリア移民のアコーディオン職人が持っていた「小さな緑色のボタン式アコーディオン」が,約100年後にミネソタからミシシッピへ向かうハイウエイ沿いで破壊され,その場にいた貧しい人たちにちょっとした人生の転機をもたらすまでの,なんつうか「アコーディオン・オデッセイ」である。もちろんアコーディオンに手足が生えて……なんて文福茶釜みたいな話ではないので,次々と替わるその持ち主たちがその場その場での「主人公」になる。<BR>
モノが楽器なので当然ながら音楽がからむ。イタリア系に始まってドイツ系,メキシコ系,フランス系,アフリカ系,ポーランド系,アイルランド系,ノルウエー系と移民達の手を渡り歩きながらそれぞれの音楽を奏でたり奏でてもらえなかったりする。…そだな,1999年だったか,「ラン・ローラ・ラン」ってドイツの映画があったではないか。あの中で主人公のローラとすれ違う人々のその後の人生がラッシュで垣間見られるところがあったでしょ。この本はあのローラのポジションにアコーディオンを置いた,ある意味アメリカの年代記とでも呼ぶべきもんなのだ。誰にでも薦められるわけぢゃないが,オレは面白く読みました。 |
関連本棚: |
stonechild
kitashi
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話の後始末
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著者: |
立川 志の輔, 天野 祐吉 |
出版社: |
マドラ出版 |
評価: |
★★★★ |
カテゴリ: |
対談
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コメント: |
立川志の輔・天野祐吉の……なんというかまず志の輔師匠の落語があって,そのあとでその落語についてだったりそうぢゃなかったりする四方山話を天野さんとする,というライブ数本を収録した変わり種の対談集 (つうコトになるんだろうな,これも) 。……オレ,経験があるから言うけどテープ起こししたヒトは大変だったろうなぁ。<BR>
落語は「だくだく」,「粗忽長屋」,「バールのようなもの」,「文七元結」,「井戸の茶碗」の5本。「バールのようなもの」だけが新作であとは古典,なのでまぁ「バールのようなもの」以外はオレも実際に寄席やテレビやラジオで聞いたり興津要先生の本とかで読んで知ってる話なんである。が,なにを隠そう志の輔師匠の落語は聞いたことがないのでなかなかにこういう口述本は興味深い。ああ寄席に行きたくなるなぁ。<BR>
それはさておき,「だくだく」(知らないヒトのために解説するとこれは,貧乏なので壁に家財道具の絵を描いてモノがあるつもりになって暮らしているオトコのところに洒落の分かる泥棒が入ってたがいに「つもり合戦」をやるという話である) のあとの対談。天野さんの「東京の水不足の時にコメンテータとしてテレビに出て,『東京の人間はみんなわがままで,水なんてあって当たり前だと思ってる。だから懲らしめるためにしばらく雨は降らなくていい』と発言したら抗議の電話がいっぱい来た」という話が身につまされた。<BR>
天野さんによれば「病院はどーするんだ!」とか,そういう怒りの電話が来たんだそうで,そーゆー話をしてるんではないっちゅうのね。オレも以前ほぼそっくりの目にあったことがあるけど,いちいち病院のことまで考えて冗談言えない,冗談と言って悪ければ違った視点は提示できない。テレビにしたって「一刻も早く雨が降るといいですねぇ」みたいな思考停止のコメントを言わせるために天野さんにギャラ払ってんぢゃないだろうに,こういう抗議にウロタエるなよな,と思うのだがねぇ。<BR> |
関連本棚: |
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賭博と掏摸の研究
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著者: |
尾佐竹 猛, 加太 こうじ, 藤田 幸男 |
出版社: |
新泉社 |
評価: |
★★★★ |
カテゴリ: |
歴史
犯罪
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コメント: |
著者の尾佐竹先生は司法官で大審院判事まで務め,「日本憲政史」とか「明治文化史としての日本陪審史」などの著作もあるなんというか大学者なんだが,肩書きのわりに,というか反してというべきか,そうとうくだけたヒトだったらしく,この本も文語体でありながら慣れるとスイスイと読める面白さなんである (ただし注釈無しに引用されている古文書,漢文の類いは除くが) 。<BR>
賭博の研究においては,日本でおこなわれる賭博をサイコロ系とカルタ系に分類,そのルーツが実は一つであることを解き明かし,返す刀でサイコロ賭博の種類と方法を克明に記して行く。一個でチョボイチ,二個でチョウハン,三個でキツネ,四個でチイッパ,五個がテンサイというぐあい。次にはイカサマの手口,昔の時代劇でしか観たことがなかったが,ほんまに中から針が出て来てひっかかり,出目を左右できるサイコロとかがあったんである (センセイ,明治期にそれを売っていた店の新聞広告を引用している〜これを全文ここに書き写せないのが残念だ)。<BR>
続くは掏摸,まず掏摸の技術がこれほど発展したのは日本だけであり,斯様に小手先が器用なのは幼時から箸を使ってものを食うせいだという (そのわりに「支那人に掏摸の才能なし」と断じているのがヘンなんだが) 。その上で日本が誇る (実際誇っているように読めるのがおかしいんだが) 掏摸の技術,手口について詳細を記し,江戸時代の稲葉小僧などら明治に名高い仕立て屋銀次の捕縛と判決までを解説する。<BR>
目ウロコ話が山ほどある,詐欺賭博の類いのことを関東ではイカサマと呼んだが関西ではインチキと言う,同じ掏摸と言う字をスリと読むのは関東の語で,関西ではチボと読んだ,コートに鈴を下げてそれを鳴らさずにスり取れるように修行するというのはウソだ,修行は全部実習である (オレなど子供の頃にちばてつやの漫画で読んで信じていたのだがなぁ) ,なりたての掏摸はモノを取ったらすぐに駆け出す,なので「駆け出し」という等々,目からウロコが落ちる音が半径450mくらいに響き渡った。 |
関連本棚: |
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大本営発表は生きている (光文社新書)
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著者: |
保阪 正康 |
出版社: |
光文社 |
評価: |
★★★★ |
カテゴリ: |
歴史
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コメント: |
昭和16年12月8日から昭和20年9月2日の降伏文書への調印まで,45ヶ月間にわたる太平洋戦争の間,実に846回行なわれた「大本営発表」。現在ではその印象が一人歩きし,単に信用できない官製報道,建前と嘘で固めた不実なニュースという意味合いで使われることが多い。本書はその全貌を丹念に掘り起こし,選り分け,当時の軍関係者がなぜ客観的事実から目をそらせ事実を隠蔽しようとしたか,彼らがその先に(事実はいずれ明らかになる)どんな終末を心描いていたのかを明らかにしようという労作である。<BR>
いささか乱暴に,しかもいかにもオレ風に要約すると,(1)米英相手に戦争をやっても勝ち目はないという意見を押し切って戦争を始めた。(2)なので個々の戦闘でも「負けた」という報告はしにくく嘘をつくことになった。(3)勝った勝ったと報告しているのに実際には負けているわけだからどんどん現実と報告との乖離は大きくなった。(4)嘘がバレるの怖さに一億総玉砕を唱えて国民と無理心中を図った,ということになる。いや,帝国軍人はそんな卑怯者ではない,というご意見はあろうし,保坂さんもオレよりは同情的で「それは戦争というシステムを理解できなかった悲しい報告書だった」と論じているんだが……。<BR>
まぁ昨今なにやら元気になってきた感のある「日本は偉いぞもいちど戦争するぞ」派の勇ましくて少し足りない市民の皆さんには是非とも読んでいただきたい本である。<BR> |
関連本棚: |
あおしま
tmiura
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2001年映画の旅―ぼくが選んだ20世紀洋画・邦画ベスト200
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著者: |
小林 信彦 |
出版社: |
文藝春秋 |
評価: |
★★★★ |
カテゴリ: |
評論
映画
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コメント: |
うー,楽しい本である。まずなんといってもカヴァー絵がいい。これ,黒澤明監督の「野良犬」での三船敏郎と志村喬である。白いスーツにハンチング,という格好が馬鹿みたいでなかった時代のかっこいいミフネだ,あんた (と偉そうに書くがオレも劇場で観たわけではない,封切りの時は産まれてないしな) 。<BR>
この本は2部構成になっている。前半は小林さんの選ぶ20世紀の洋画,邦画のベスト100という企画読み物。後半はいろいろなところに断片的に書かれた映画に関わるエッセイを集めたものである。本文中にもあるが彼はある時期で映画評論を書くのを辞めており,ここに納められのは評論ではなくあくまで映画にまつわるエッセイである,らしい。そういう風に厳密な分け方をする小林さんがオレは好きだが全然真似しようとは思わない。世代の差かも知れぬ。<BR>
ともかく選ばれた洋画100本のウチ,オレが観ているのはたったの15本,邦画に至っては10本に満たない。まぁどっかの偉いさんが選んだ「ニッポンの百名山」とかいうのを踏破してナニかを成し遂げた気になる,という類いのメンタリティはさらさらないのでそう残念でもないのだが,小林さんの紹介文を読むと観たくなるなぁ。<BR> |
関連本棚: |
増井
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BH85
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著者: |
森 青花 |
出版社: |
新潮社 |
評価: |
★★★★ |
カテゴリ: |
日本
ユーモア
小説
ファンタジー
SF
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コメント: |
著者のモリさんとはお知り合い。京都…大阪だっけ? 在住の主婦兼鬼のようなプロレスファンのヒトであり,東京に観戦に来た時などには新宿で飲んだりしたもんなのだ。この本はそんなモリさんが,1999年に日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞した作品。<BR>
元々は「究極の毛生え薬」であった遺伝子組替え生物 BH85 がひょんなことから突然変異して大増殖,京都府鳥羽下水処理場を皮切りに,生きとし生けるもののあらかたをその一部としながら遂には地球を覆い尽す,というパニック小説…なんだろうなぁ。早い話 (ちっとも早くないか) ,諸星大二郎のデビュー作「生物都市」の毛生え薬版である。<BR>
この新生物,ネオネモに生物が融合し,その意識が共有されるトコロの描写がすばらしい。あ,ワシも融合したい,とか思ってしまうもんね。至る所暗緑色の新生物に覆われた町の風景なんかは水木しげるの「原始さん」を彷佛とさせる。いや面白うございました。吾妻ひでおの挿し絵も吉。 |
関連本棚: |
mnpk
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ファストフードが世界を食いつくす
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著者: |
エリック シュローサー |
出版社: |
草思社 |
評価: |
★★★★☆ |
カテゴリ: |
アメリカ
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コメント: |
まず本から離れたところから筆を起こす。2001年10月3日の毎日新聞「記者の目」というカコミ記事に論説室の高畑昭男という記者が「タリバンも米国も悪か? 『どっちも』論こそ危険だ」と題して,「テロは『絶対悪』なんだから今こそ米国に協力してこれと戦わねばならない,テロとの戦いは『絶対に必要』なことだ」という好戦論を書いていた。<BR>
オレとてテロリストの側につき彼等の行動を支持するわけではない,ないが,この記者に逆に聞きたい。世界中が協力して「テロ支援国家アフガニスタン」を攻撃し,再度の報復テロなどできぬよう,一族郎党皆殺しにしたとしよう (オレはそうしてもテロはなくならないと思うが,「テロ」の主たる母体が「憎悪」である以上,皆殺しはこの記者などのいう「根絶」の最低条件だろ? 殺したいんだろ?) 。そしてどんな世界がやってくるのだ? <BR>
さぁ,米国を攻撃するテロリストはいなくなった,世界各国は今さらながら「世界最強」を誇る米軍の力を見せつけられた。そのあとで,例えばこの日本はブッシュに「京都議定書の批准」を要求できるのか? 核実験全面禁止条約 (CTBT) を反故にしてる,と批判できるのか。世界中どこの国が米国の首に鈴をつけられる? この戦争で勝利の味を覚えた米国民はきっと言うぞ,「なにジャップがアメリカの政策に反対してやがるだと,そんなヤツはテロリストと同じだ,かまうこたぁないからやっつけちまえ」。<BR>
米国にはそんなことをしない良識がある? あるかどうかがこの本に書かれている。あの国の象徴とも言えるファストフード産業が,他国民どころか自分の国の将来をになう子供らまでを,いかに食い物にして肥え太って来たか。そして歴代共和党政権が,特にレーガン・ブッシュ政権がいかにそれに手を貸して来たか,が全部書かれている。<BR>
テロリストは犯罪者として裁かれ罰せられるべきだ。今回の米国のやり方には賛成できない。なぜなら,米国以外の国がテロに遭った時に同じことができないやり方,アメリカにしか出来ないやり方でテロと戦おうと言ってるからだ。圧倒的な暴力をバックに,やんわりと協力を強制する。こう言っちゃなんだが,それはヤクザのやりクチだ。都合のいい時だけ「自由主義社会の盟主」になって権力を行使し,別の時には他国の苦境を顧みない。<BR>
石油などの化石燃料を使いたいだけ使い,世界中の二酸化炭素の約1/4を一国で排出するアメリカは,例えば地球温暖化による海面上昇が死活問題であるいくつかの国の苦しみには鼻もひっかけない。「自国の産業に悪影響があるから」京都議定書は批准しない,と言い切ったではないか。あんなことは米国にしか言えない。もしよその国があんな態度を取ったら他ならぬ米国にこっぴどく非難されるに決まっているからだ。そういうメンタリティがどっから来るのか,それもこの本を読めば解る。必読だと思う,あなたが例えばマクドナルドが大好きであれば。 |
関連本棚: |
ichiyu
benisuzu
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*uchi_mio*^o^*v 図書館
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KyongSaRi
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ポップ1280
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著者: |
ジム トンプスン |
出版社: |
扶桑社 |
評価: |
★★★★☆ |
カテゴリ: |
ピカレスク
アメリカ
小説
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コメント: |
吉野朔実の「弟の家には本棚がない」で知って取り寄せた1910年代のアメリカの田舎町を舞台にした暗黒小説……。つか,こりゃアメリカ版「村井長庵」(「歌舞伎・勧善懲悪覗機関(かんぜんちょうあくのぞきからくり)の」でもいいんだけど,ここは「筒井康隆の」を思い起こしていただきたいところ)ですな。<BR>
人口1280人の田舎町ポッツヴィル,この町の保安官ニック・コーリーは間抜けの皮をかぶった極悪人である。町の売春宿に巣食うヒモ達を殺して隣の郡の保安官をその犯人に仕立て上げるわ,時期保安官選挙の対立候補を噂を武器にして追い落とすわ,愛人の亭主を銃の暴発事故に見せかけて殺すわ……。そして彼はうそぶくのだ。「オレの意志ぢゃない,オレはみんながオレに期待していることをしているだけさ」。<BR>
同じ暗黒小説と呼ばれても,エルロイや馳星周の主人公たちはもっとギラギラで欲望むき出し,人を殺すときも鼓動バクバクな感じがするんだが,この男は違う。心の底からそんなことはたいしたことぢゃないと思っている,通るのに邪魔な石をどかすような感じ。ね,村井長庵でしょ? <BR>
……ところで「弟の家には本棚がない」にはこの本をネタにジャン=ベルナール・プイというフランス人作家が「1280の魂」という本を書いた,でも翻訳はされていないという話が出てくるのだが,ワシもそれが読みたい,読みたいぞ。 |
関連本棚: |
ud@ko
あずきのリアルな
優
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未来のアトム
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著者: |
田近 伸和 |
出版社: |
アスキー |
評価: |
★★★ |
カテゴリ: |
脳科学
ロボット
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コメント: |
オビのアオリをそのまま書き写せば,「取材,執筆に丸2年! 早稲田大学,大阪大学,東京大学,経済産業省,ホンダ,ソニー,NEC……,日本のロボット開発の最新動向や現代科学の最新理論から『ヒューマノイド』の未来を探る,渾身のサイエンス・ノンフィクション!!」である。<BR>
著者の田近さんの意図としては,ヒューマノイド研究の最先端をまずルポし,それが「アトム」には遥かに遠いことを指摘。そも我々が思っているアトムのようなヒューマノイドを作るにはどのようなことがまだ明らかでないのか,そのためにどのような研究がなされているのかを紹介していく,ちょうどホーガンの「科学の終焉」みたいなテイストを目指したのだと思うのだ。<BR>
だけどなんつうのかな。ホーガンが取材対象である学者達を挑発したり怒らせたり,サイエンス・ライターとしてのある種の矜持が感じられる取材に読めるのに対し,田近さんの取材はもっと「お説拝聴」みたいな印象があって,自分を出さない匿名子の構成したインタビューみたいなんである。いや,それだけならそういう本として納得が行くんだけど ,その取材結果をまとめる段になると,ホーガンも田近さんも容赦なく「●●氏のこの見解,ワタシには納得いかない」とか書いちゃうわけ。<BR>
オレもヒトにインタビューしてそれをまとめるとか,対談をしてもらって読める記事にするとかって仕事をしたことがあって,その経験から感じるんだけど,おそらくホーガンに取材された学者よりも田近さんに取材されたヒトの方が出来た本を愉快には思わないんぢゃなかろうか。ま,本スジには関係ないところなんだけど。<BR>
前半,AI (人工知能) に関わる話はオレもかつてカジったモノなので「知ってる話」が多く,まぁ流し読みもできたんだが,後半,脳科学や物心論あたりになってくると読んでても付箋を貼りどおしである。青山拓央「タイムトラベルの哲学」やラマチャンドラン「脳のなかの幽霊」,そして上にも書いたホーガンの著作など,ここ数年のあいだに読んだ本の復習をさせられているような知的体験でありました。でもちょっとこの結論は食いたりないなぁ,オレ。<BR> |
関連本棚: |
svslab
増井
kata
earth2001y
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蕎麦屋のしきたり (生活人新書)
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著者: |
藤村 和夫 |
出版社: |
日本放送出版協会 |
評価: |
★★★★☆ |
カテゴリ: |
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コメント: |
「有楽町・更級」の4代目藤村和夫氏による,蕎麦うちのコツから出しの引き方,通し言葉や符丁から,もりと種もの,「おやど」と出前の汁の違いまで。いやぁ実に面白く読ませていただきました。<BR>
ただちょっとだけ気になったのは,本屋で見かけたポップやオビなどこの本の広告にやたら「粋だ粋だ」と書いてあること。オレ的常識ではそういうのは「粋がる」って言って,これ以上ないくらい「粋ぢゃあねぇふるまい」だったはずだと思うんだがなぁ,NHKとかのヒトはどうお考えですか。<BR>
さすがに著者の藤村氏はその辺をわきまえてらして,ある広告では「私たち蕎麦を召し上がっていただく人間からすれば,粋だの,粋でないだのと生意気は言えない」とコメントなさってた。そうですよね,普通は。まぁその上で,それが「粋かどうかは知りませんが」と断りつつ,蕎麦屋にとって嬉しいお客というのを次のように紹介してらっしゃるので引用しようか,その客というのは,<BR>
まず酒を一本取り,お品書きを吟味しながらおもむろに飲みはじめ,しかるべき時に手の掛りそうな「つまみ」を注文し,できてきたらお代わりの酒を注文,食べているうちに「蒸籠,一枚」。水を切りながらつまみつつ,「もう一本」。「板わさでもおくれヨ」。酒がなくなる頃,「蒸籠,もう一枚」。これをゆっくり食べて,湯桶を入れて,残りの汁を全部飲んでしまってから「お勘定」。どうです蕎麦屋が喜ぶ客になれそうですか? |
関連本棚: |
KT
権太の既読
ak2
hirschkalb
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女は結婚すべきではない―選択の時代の新シングル感覚
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著者: |
シンシア・S. スミス |
出版社: |
中央公論社 |
評価: |
★★★★☆ |
カテゴリ: |
結婚
女性
社会
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コメント: |
ヨワイ40を超えてヒトリモノの私がこういうタイトルの本を読んでわかったようなコメントを書いたりすると,おそらく要らぬ憶測とナミカゼを呼ぶだろう予感はある。あるのだが,いや正味のところ,たいへん面白かった。<BR>
アメリカ社会に根強く残る (と言ったら「日本のほうが」だろうが) 「結婚制度への盲目的服従」がいかに人生を,特に女性の人生を苦しくつまらないものしているか,ということを数多くの実例をあげてレポートした本。著者であるスミス氏は,長年連れ添った夫と死別したあと,周囲の人々が「あなたはまだ若いんだから,いい相手を見つけて再婚すべきよ」と勧めるのに憤慨したそうだ。その時の話が面白い。<BR>
なんで女は結婚してないといけないみたいに言われなきゃいけないのか。そう聞き返されて周りの方がたまげてしまい,いろいろな支払いや車の修理など夫たるものの「仕事」を次々とあげつらう。そんなものは自分でできると彼女が言うと最後に出てきたのが「でもゴミ出しは旦那でしょ? (アメリカでは一般にゴミを出すのは男の仕事とされているそうな) 」と言われた。彼女は答える,ゴミ出しのために再婚する?馬鹿みたい(笑)。<BR>
タイトルはトンがっているが (原題は「Why Women Shouldn't Marry」) ,けしてウィメンズ・リブや過激なフェミニズムの本ではない。つうか,ここに「失敗した結婚の例」としてあがってるいくつかの事例はアメリカと言わず日本の夫たちこそ読むべき,身につまされるトコロがある話ではなかろうかと思う。そのヘン,シングルのオレなればこそ,うけけとヒトゴトとして笑って読めたのかも知れぬがね。 |
関連本棚: |
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未知なる地底高熱生物圏―生命起源説をぬりかえる
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著者: |
トーマス ゴールド |
出版社: |
大月書店 |
評価: |
★★★★☆ |
カテゴリ: |
生物学
地学
物理学
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コメント: |
実はこの邦題はあんまり出来がよくなくて,いったい何の「生命起源説をぬりかえる」んだか分からないと思うが,これは石油,石炭,天然ガスなどのいわゆる「化石燃料」の生命起源説のこと,早い話が石油も石炭も「化石燃料」なんかぢゃあねぇ,と主張する本である。<BR>
以前読んだ「トンデモ科学の見破りかた〜もしかしたら本当かもしれない9つの奇説」(ロバート・アーリック著)のなかでとりあげられ,「トンデモ度ゼロ(本当であってもおかしくない)」と判定されていたのに興味が湧いて買ってみたのだがいやはや恐れ入りました。小学生の頃理科の授業で,石油石炭は大昔の生き物の化石が地面の下でよくわかんない変化を遂げたものと教えられて以来固陋蒙昧なる生物起源説信奉者であった不肖フジモト,前非を悔いて本日よりこっちにコロビます。そうはいうがあんたこれは「第二の地動説」かも知れないよ。<BR>
以下ゴールド先生(いきなり先生扱いである)の主張をごく大雑把に総括してみる。<BR>
生物起源説はもともと,石油などの還元燃料は二酸化炭素が還元されたものであり,地球上で二酸化炭素を還元して同化することが出来るのは葉緑素を持った植物(生物)だけだから,石油はその死骸の成れの果ての市兵衛さんに違いないという。しかしこれが正しいとすれば,光合成の能力を獲得する前の生物はどうやって自分の身体を形成していたのか,生命は発生と同時に炭素同化能力を持っていたというのか,それはちとありそうもない。<BR>
最近の研究により,太陽系の多くの惑星,衛星などがその内部に炭化水素を多量に含有していることが判明した。つまり生命のいないよその星にも石油と同じく酸素と反応して二酸化炭素とエネルギ−になる物質が存在しているわけだ。とすれば,なんで地球の炭化水素だけがそれらとは違って植物のみなさんの光合成努力の賜物であるのか。モノゴトに二種類の説明があったら単純な方がより正解に近いんぢゃなかったのか(オッカムの剃刀ですな)。<BR>
シンプルでしょ? そして先生はこの自説を証明すべく,生物起源説によれば絶対に石油なんか出るはずのないスウェーデンの原野を試掘し,商業的には採算ベースに満たないものの決して「微量」とは言えない石油と磁鉄鉱のペーストを掘り出してしまう。しかし有力な科学雑誌はこれを黙殺「受理して掲載するにはほかの研究チームによる調査結果の再現が必要」とかほざくのである。あのなぁ花崗岩の原野に深さ6キロの穴を掘るのにいくらかかると思っているのだ。この理屈は「アメリカ以外の国が月から石を持ち帰るまであれを『月の石』とは認められない」というコトだぞ。<BR>
てなわけで,いつのまにかゴールド先生の憤懣まで身に背負ってしまったワタシだが,とにかくこの本は科学好きには絶対に面白い「極私的2004年輝け面白科学本大賞」最有力候補(邦訳が出たのは2000年だけど)の一冊なので,御用とお急ぎでない方はじっくり腰を据え,この「第二の地動説」を吟味してみてくれたまえ。 |
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増井
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